
つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、実在した人物や出来事を描く小説を紹介しています。
今回ご紹介する小説は、明治期から昭和初期にかけて、在野(民間)の博物学者として名をはせた「南方熊楠(1867-1941)」を描く「われは熊楠」岩井圭也著。
その賢さと破天荒さから、”天狗”と呼ばれた少年は、焦燥・葛藤・家族との軋轢を乗り越えて、いかにして「知の巨人」と呼ばれるに至ったのか。

「われは熊楠」はどんな本?
✓ あらすじ
慶応3年(明治元年)に生まれた南方熊楠は、好奇心旺盛な少年時代を過ごし、自然と書物に囲まれて育ちます。学問に生涯を捧げようと父の反対を押し切ってまで留学したものの、あくまで在野を貫く研究はなかなか実を結ばない。認められないことへの苦悩に経済的困窮、弟の決別、息子との別れ、そして渇望した学者としての栄光。後世に「知の巨人」として名を残した南方熊楠の波乱万丈な人生とは。
「南方熊楠」はどんな人?
明治元年にあたる1867年、紀伊国(現:和歌山県)の商家の次男坊として生まれます。幼い頃から和歌山県の山野を駆け巡り、収取・採集に熱中した熊楠は、長じるにつれて学問(博物学)の道を進むことを心に決めます。
ここから、「われは熊楠」の物語は始まります。
本作では主人公:南方熊楠が亡くなるまでを描くため詳細は割愛しますが、幽体離脱や幻覚などの作中で描かれる熊楠の奇行は、ある程度は事実だったようです。(鬨の声も幻覚の一種でしょうか…)
また、本作の最終章:紫花に描かれますが、臨終の際、「紫の花が見える」と言って医者を呼ぶのを拒んだり、熊楠の脳が現在でも保存されている(大阪大学医学部にて)のも事実とか。
ちなみに、父:弥右衛門が創業し、熊楠の実弟:南方常楠(1870-1954)が継いだ南方酒造は(株)世界一統として、現在でも酒造業を営んでいます。
おすすめポイント・読書体験
流転の果てに気付く人の支え
幼い頃から自らの脳の特異性に気付いていた熊楠は、学校を卒業した後も組織に属することはなく、1人で研究に没頭します。「我は何者なんじゃ」という命題を解き明かすために。
しかしながら、自らの「鬨の声※」に振り回されては、チャンスをふいにすることを繰り返し…、14年にわたる海外遊学の果てに和歌山に帰郷。以後は、熊野三山として有名な原始林が残る那智山にて研究を再開します。
※作中の熊楠は、頭の中で自らの分身のような存在が常に会話をしており、その声のこと。
ここでも中々芽が出ない研究生活の中、ここで初めて熊楠は「人との交流」に目が向きます。献身的な妻を得て、家族を持ち、周囲の人間と接することで、熊楠の名は少しずつ少しずつ全国へ広まっていきます。
しかし、それは同時に、新しい家族との仲を堅固にすることでもあり、古くから支えてくれた弟との仲を引き裂くことともなるのです。
孤高の研究者であった熊楠は、他人との交流を経て、いかにして人の支えに気付き、人生の目的である「自分自身の正体」にたどり着いたのか。
若さゆえの行動、青年期の焦燥、家庭を持った後のリスク回避思考、老齢期の気力の衰え。人生のどこかで誰も目の当たりにする壁を、人との縁で乗り越えてゆく熊楠の姿が読書ポイントです。
あとがき
本作は、熊楠の破天荒な人生やら神秘的な生命の本質など、他にもテーマがありますが、やはり本質は「人との縁」な気がするんですね。なぜなら、熊楠が最後に導き出した「我は何者なのか」への答えも、ただの孤高の研究者ではたどり着けないものだからです。
このような意味で、人との縁が道を切り開いた作品としてご紹介したいのが、永井紗耶子著「きらん風月」。
主人公は江戸時代中期の東海道で、武士・浮世絵師・戯作者・名物爺さん…ひっくるめて”文人”として名をはせた「栗杖亭鬼卵(1744-1823)」。文人としての芽が出ないまま60歳を迎えた鬼卵は、いかにして楽しく生きる自分の道を見つけたのか。時代も舞台も違えども、人との縁を省みたくなる作品です。