
つれづれ(@periodnovels)です。「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物・出来事をベースとした小説をご紹介しています。
日本で初めて、女性が女性のために記した歴史物語「栄花物語」はご存じでしょうか?
887年~1092年までの200年間を記した物語風の歴史書で、作者は、40歳で老人と言われた時代に60歳になってから栄花物語を記した「赤染衛門(朝児/965?-1041?)」と言われています。
今回ご紹介する小説は、赤染衛門(作中名:朝児)を描く澤田瞳子著「月ぞ流るる」
貴族ながらも親子関係に悩む平凡な人物であった朝児は、宮廷の栄華に隠れた哀しき涙と幸せを、どう受け止め、そしてなぜ物語として彼らの姿を書き留めたのか。
だが、書き続けねば、と朝児は胸の中で己に言い聞かせた。決して、道長を貶めるためではない。この世で何が起きて何が起きなかったか。その晴れがましき栄華と、その陰にある数々の涙を。
澤田瞳子 著「月ぞ流るる」P357
「月ぞ流るる」はどんな本?
✓あらすじ
平安時代中期、夫であり学者:大江匡衡と死別した朝児は静かな余生を過ごしていたところ、その学識を買われ、中宮:藤原妍子の女房として宮仕えをすることに。しかし、宮中は藤原道長の権力絶世期。藤原道長と妍子の夫:三条天皇の対立を軸に、宮中の人間の「欲」は、様々な人に栄華をと涙をもたらした。泡沫のごとく消えてしまう彼らの姿を留めんと朝児は筆を取る。日本で初めて女性による女性のための歴史物語を記した赤染衛門は、誰のために栄花物語を記したのか。
✓読みやすさ ★★★★★
単行本445ページで描かれる時間軸は3-4年程度、視点人物は主人公:朝児と、朝児から教えを受ける見習い僧:頼賢の2人のみと、平安時代を描いた作品としては非常に読みやすいです。また、主人公の朝児・頼賢の2人以外の登場人物は、どの派閥に属しているのかが明確かつ変わらない一方、朝児と頼賢はこの辺りの感情が変わっていくため、この点を抑えておくととても読みやすいと思います。
「朝児(赤染衛門)」ってどんな人?
平安時代を彩る文人の影響を受けながら、歴史書に新たな意味を与えた人物
※作中のイメージを含みます。

平安時代中期、官人:赤染時用の娘として生まれた朝児は、結婚前は藤原道長の正妻:倫子とその娘:彰子に仕え、紫式部・和泉式部・清少納言など、当代を彩る文人たちと交流を深めます。この時、父:赤染の苗字から、赤染衛門と呼ばれるようになったとか。大江匡衡との結婚後は、1男2女を養育しながら夫を支え、長男の病平癒の和歌奉納など、母としての活躍も鮮やかな人物です。
しかしながら、朝児56歳にして、夫:匡衡と死別。ここから「月ぞ流るる」の物語は始まります。
本作で描かれるため詳細は割愛しますが、中宮:妍子の女房として宮仕えを再開したことで、宮中の栄華に隠れた人間の営みを目の当たりにした朝児は、改めて筆を取り、彼らの姿を物語に書き留めていきます。
ちなみに、和歌の名手として名高い朝児は、赤染衛門の名で百人一首(59番)に名を連ねています。また、長男:大江拳周の子孫は、鎌倉幕府創建に大きく貢献した武士:大江広元(1148-1225)に繋がっています。
おすすめポイント・読書体験
① 栄華に隠れた哀と幸
② 歴史物語は誰のために、何のためにあるのか
栄華に隠れた哀と幸
平安時代といえば貴族の時代。源氏物語をはじめ、華やかな日本文化の礎が築かれた時代です。しかし、そこに生きた人々は必ずしも皆が豪華絢爛に生きたわけではありませんでした。
政権争いによる嫌がらせ、浮気、嫉妬など、人が集まれば必ず発生する醜い争いが宮中には溢れていたのです。そしてもちろん、争いがあるということは、勝者の華やかさに隠れた敗者の哀しき涙がそこにはありました。
絶対的権力者:藤原道長と、第67代:三条天皇。結末としての勝者と敗者は明らかながら、勝者にも勝者なりに勝ちたい理由があることと同じく、敗者の側にも確かにあった「生き様」、そして敗者だからこそ得ることができた「幸せ」とは何だったのか。
敗者とは言わずとも、自分自身のことを”平凡”と思う人ほど、胸が熱くなる作品です。
帝を長らく悩ませ続けた道長の一党の中にも、彼らのように帝のために泣き、怒る者がいる。繚乱と咲き誇る桜の陰で、日も当たらぬまま枯れようとしている下草に、涙の雨露を注ごうとする者がいる。
澤田瞳子 著「月ぞ流るる」P425
歴史物語は誰のために、何のためにあるのか
平安時代中期の当時は、歴史の出来事を記した”史書”と、読み物として楽しむ”物語”は明確に区別されていました。史書は男性が勉学のために読む書物であり漢文で書かれる一方、物語は女性の読物だったことから架空の話を仮名で書いた書物でした。
女性ながら学者の家に嫁いだために漢文・物語の双方の知識を持っていた朝児は、見習い僧:頼賢の師となり、書物は何のために読むのかを教えていきます。それは同時に、朝児自身が物語とは何なのかと改めて向き合うことでもありました。
そして、女房として宮仕えに戻り、宮中の栄華に隠れた人々の生き様を目の当たりにした朝児は、この時代に生きた人間として自分自身が書くべき物語とは何なのか、内側から湧き出てくる執筆の熱意に動かされ、筆を取ります。
自分自身の能力への不安、権力者:道長への配慮など、様々な葛藤を抱えながらも、朝児が見出した歴史物語の存在意義とは。歴史小説がもっと楽しくなること間違いなしの一作です。
学問をどう役立てるかは、学ぶ者次第だ。しかし書物には、何でも記されている。他社を憎む虚しさ、罪を許す大切さ……そして人間の世々不変の営みと古しえより今日に至る歴史も、すべては本の中にある。
澤田瞳子 著「月ぞ流るる」P67
あとがき
本作は宮中の光と影、そして作家としての朝児に焦点を当てた物語ですが、加えて既に子育てが終わり、夫と死別した朝児の第2の人生(セカンドライフ)を描いた物語でもあります。人生100年と言われる時代、年齢に関係なく挑戦する人の背中を後押してくれる作品です。
少し…というかだいぶですが、ある意味で第2の人生を描いた作品としては、本作から600年ほど時代が下った戦国時代、織田信長の家臣「丹羽長秀」を描く佐々木功著「織田一 丹羽五郎左長秀の記」がおすすめ。絶対的な主君:織田信長を突然、失った丹羽長秀は、次の時代に何を託したのか。ネタバレ厳禁で紹介していますので、よかったらのぞいていってください。