深くなるほどに自分を見失う愛 |「花散るまえに」佐藤雫 著

歴史小説
つれづれ
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つれづれ(@periodnovels)です。「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物・出来事をベースとした小説をご紹介しています。

「散りぬべき 時しりてこそ 世の中の 花は花なれ 人も人なれ」

意味は、「花は散るべき時を知っているからこそ美しい。それは人も同じこと。」(P327)

天下分け目の関ケ原の戦いで、最も苛烈な死を遂げた「明智玉(細川ガラシャ/1563-1600)」が残した辞世の句です。

今回ご紹介する作品は、明智玉と夫:細川忠興の”激しく狂おしい愛”を描く佐藤雫著「花散るまえに」

愛に飢えた寂しき夫:忠興と、忠興の苛烈な愛と神の愛との狭間で揺れる妻:玉(ガラシャ)。戦国時代史上、最も歪な愛に振り回されたふたりが辿り着いた”愛”とは。

そして、出陣する忠興に<私を愛しているのなら、死ぬのだ>と言われて覚えた優越感。それは、桜の花びらを薄汚くしていう霧雨のごとく、己を穢していくようだった。

佐藤雫 著「花散るまえに」P179

「花散るまえに」はどんな本?

✓あらすじ

戦国時代後期。厳しい名家で育った「細川忠興」と、明るい家庭で育った明智光秀の娘「明智玉」は、織田信長の命により夫婦となる。厳しい教育で”感情”を失いかけていた忠興は、明るい玉に少しずつ心を開いてゆくが、2人の仲を引き裂く大事件が…。愛に飢え、失うことの恐怖から苛烈になってゆく忠興。そんな忠興から逃れるように神の愛に触れる玉。息が詰まり、胸が締め付けられ、目を塞ぎたくなるほど「苛烈に歪んだ愛」を描く。

✓読みやすさ ★★★★

単行本330ページ、かつ登場人物が限られていることや視点人物が忠興と玉(ガラシャ)のみのため、非常に読みやすい作品です。また、夫婦の関係性が見どころのため、戦国時代の政治・戦の描写は少なく、歴史小説に不慣れ方でも読みやすい作品です。

また、不器用な忠興に向けられるあまりにも純粋無垢な玉のセリフが、時に刃のように、時に優しく包み込むように、読者の胸に響いてきます。2人のセリフに、描写に、読み手の感情も大きく揺り動かされる作品です。

「細川忠興・明智玉」ってどんな人?

戦国時代史上、最も苛烈で歪んだ愛を乗り越えた夫婦
※作中のイメージを含みます

細川忠興は、室町幕府に仕える名家の嫡男として生まれます。しかし、世の中は動乱の戦国時代。名家の跡を継ぎ家を守る者として、厳しい環境の中で育ちます。それは感情を持つということすら忘れてしまうほどのものでした。

一方で、明智玉は明智光秀と妻:煕子という仲睦まじい夫婦の間に生まれます。明るく暖かい夫婦の間に生まれた玉は、家族団欒の生活が当たり前の環境で育ちます。

そんな二人は、それぞれの父の主君である織田信長の命で夫婦になることに…。

ここから「花散るまえに」の物語は始まります。

激しくなってゆく忠興の愛、忠興の歪な愛に振り回されながら縋るように神の愛に触れる玉。深くなってゆく愛と比例して、2人の愛は歪さと激しさを増していく。そして、運命の関ケ原の戦い。忠興と玉(ガラシャ)は、最後に何を選び取ったのか。

おすすめポイント・読書体験

ここが読書ポイント

① 深さに比例して歪になる2人の愛
② 忠興と玉。2人を通して描かれる様々な愛

深さに比例して歪になる2人の愛

忠興と玉。二人の夫婦の最も大きな違いは、育った環境から来る「感情の豊かさ(≒感情表現の豊かさ)」です。よくも悪くも、忠興は感情が死んでおり、玉の感情表現の豊かさは尽きることがないほど。

そんな忠興が、初めて玉という女性に出会い、心を開くことで、忠興にとっての玉は何にも代えがたい人となりました。そんな折に起こった「玉を失うかもしれない出来事」。

この出来事が、忠興の純粋な愛を歪んだ愛に変えてしまいます。そして、歪んだ愛を激しくぶつけられる玉は、少しずつ自分を見失っていくかのように神の愛に縋っていきます。まるで、2人ともそれぞれが、自分自身が何に突き動かされているのかを、忘れてしまったかのように。

相手を深く深く思い、相手の中に自分がいたいからこそ傷つけてしまう。相手の激しい愛に振り回されるからこそ、別の愛に縋ろうとする。文化の違い・家族の死・政治的な圧力に宗教、そして暴力。

激しい感情の高波に襲われる2人の夫婦愛が、本作の見どころです

「この世は、心のあるままにあろうとすることは難しい。だが、心のままにありたいと思うこと自体を、捨ててはならぬ」

佐藤雫 著「花散るまえに」P21

忠興と玉。2人を通して描かれる様々な愛の形

本作では「忠興と玉の愛」が一つのテーマですが、様々な人間同士の「愛」が2人を通して描かれます。

例えば、親子の愛。顕著なのは、暖かい家族愛としての明智光秀(父)‐明智玉(娘)ですが、細川藤孝(父)‐細川忠興(長男)の間でも、前当主から次世代の当主へ託すかのような少し歪な愛情が描かれます。

また、主君と家臣の愛。最も顕著なのは後半で触れられる、豊臣秀吉(主)-石田三成(臣)。君臣の間の信頼関係に近しい愛情が合わせて描かれていきます。

人が誰かを大切に思うからこそ、不器用で何かを見失ってしまう様々な愛情の形が、もう一つの見どころです。

涙を見せまいとする三成の目には、在りし日の秀吉の姿が映っていたのかもしれぬ。きっと、近江の寺で秀吉に向かって手をついた佐吉の頃と、その心は何一つ変わってはいないのだろう。
佐吉の煎れた茶を、呵々かかと笑って褒める秀吉の姿が、忠興にも見えるような気がした。

佐藤雫 著「花散るまえに」P288

あとがき

本作の後日譚として、細川忠興と玉の長男である細川忠隆のその後を少しだけ紹介したいと思います。

忠隆の妻:前田千世は、本作で描かれているように関ケ原の折に宇喜多家の屋敷へと避難しますが、これがきっかけで、忠隆は妻を選ぶか、細川家を選ぶかの2択を迫られます。それはまるで、細川忠興が、本能寺の変が勃発した際に、妻:玉と細川家のどちらを選ぶのかを迫られたように。

そしてその結果、忠隆は忠興とは反対の選択します。本作の後日譚として歴史に残る、忠隆の選択の足跡はどこかでご紹介できればと思います。

また、本作の著者:佐藤雫 氏の作品としては、江戸時代に天然痘ワクチンに挑んだ夫婦の物語「白蕾記」も本ブログで紹介しています。「花散るまえに」とはまた異なる2人の夫婦の物語ですので、よろしければのぞいて行ってください!

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