
こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、実在した人物や出来事を題材にした小説を紹介しています。
今回は、佐藤巖太郎 著「将軍の子」。
描かれる人物は、江戸時代初期の3名君に数えられる「保科正之(1611-1673)」。
本作のテーマを一言で言うと…
響き合う人と人の人生
さまざまな人に助けられた経験は、正之の中で、他者を思う心につながったのかもしれない。見性院からは、義をおろそかにしない生き方を学び、保科正光からは、他人に譲る礼の心を学んだことだろう。そうやって周りの願いに応えるようにして、正之は生きてきたのだ。
佐藤巖太郎 「将軍の子」P181
父に認められず江戸城の外で市井に助けられながら育った保科正之は、多くの人々から影響を受けると同時に、多くの人へ影響を与えた。武士たちに「生きよ」と呼びかけた初代会津藩主の生涯とは。
おすすめポイントの前に…少しだけあらすじを
1611年、幸松丸は江戸城の外で生を受け、武田信玄の娘「見性院」に養育されたのち、高遠(現在の長野県伊那市)藩藩主の保科正光のもとで少年期~青年期を過ごします。その後、異母兄である徳川家光・徳川忠長との邂逅を経て幕閣に参与。徳川将軍家の血筋でありながら、徳川家を外から支えた人物です。
なお、本作は保科正之の周囲の人間から保科正之を描いた短編集のため、正之本人の視点から物語が進むことはほとんどありませんので、その点ご注意を。
こんなかたにおすすめ
江戸時代初期の「武」から「文治」へ移り変わる時代が舞台のため、戦のシーンはほとんどなく、比較的どなたも読みやすい舞台設定です。また、一つ一つの短編自体は短いため、気軽に読める反面、佐藤巖太郎さんの特徴でもありますが、文章が特徴的(解説の言葉を借りると、静謐で気骨ある)なため、気軽に読めない雰囲気もあります。
あんまり時間はないけれど、本格的で厳かな歴史小説を読みたいという方に向いています。
おすすめポイント・読みどころ
保科正之の政道の信念が形作られるまで
幸松丸こと保科正之は、生まれた時から様々な人に助けられ、希望を託されながら生きていきます。青年期までは、2代将軍 徳川秀忠の御落胤という出自を周囲から隠されたために、孤立を覚えることもありながらも、屈折せずにその人格を成していきます。
自分の身の危険を顧みずに正之を生んだ母おしづ、夫や子、家までも失った武田見性院、領民に慕われた保科正光、家康に最期まで認知されなかった土井利勝など、多くの人々の助けを得た正之は、江戸城内で育っては得られない感性を研ぎ澄ましてゆくことで、自身の政道を突き進んでいきます。
それは労りだったのだ——。渦巻くような感情が込み上げてきた。壮大な芝居を続けてきた保科家の人々の気遣いに対して、自分(保科正之)に何ができるのか。感謝は、恩に報いようとする決意に変わった。ここまで尽力してくれた保科家に報いたい。ただ、その念だけが残った。
佐藤巖太郎 「将軍の子」P88
本作では、正之の死は描かれないため、生涯を終えるその時に、彼がどのように人生を振り返ったのかは、読者の想像に委ねられます。しかし、徳川家の血筋でありながら、江戸幕府を支えた正之の生き様は、多くの人々の心に残ったことでしょう。
長を他山の石として己を見つめたとき、自分(保科正之)の進む道が垣間見えた。その先は、徳川家に戻ることではない。将軍家が要とすれば、あくまで正之は扇の骨なのだ。骨には骨の分がある。そして面となる地紙がなければ扇は用をなさぬ。
佐藤巖太郎 「将軍の子」P113
保科正之から影響を受けた江戸幕府の面々たち
3代目将軍 徳川家光をはじめ、知恵伊豆こと松平信綱、土井利勝など、保科正之は様々な人間に影響を与えます。まるで青年期に受けた恩を分け与えてゆくかのように。
中でも大きな影響を与え、かつ保科正之自体にも大きな転機となったのは、3代将軍 徳川家光です。異母弟である正之に興味を覚えた家光は、正之の茶室の間で面会をします。そこで、既に自分の生き方を見つけていた正之は、将軍の子でありながら3万石の小領でも満足であると伝えるのです。これにより家光は自身の政道を見つけるとともに、正之に信を置き、家光亡きあとの幕府を支えていくこととなります。
この他にも、「仁」を見つけなおす土井利勝、家光亡き「後」を託された松平信綱など、江戸の外から江戸の幕閣に影響を与えた正之により、幕府は新たな「文治」の時代を切り開いていくのです。
家光自身、新たに気づかされたことがあった。自分以外にも、自らの立場で国の行く末を案じているものはいる。この保科正之がそうであるように。
佐藤巖太郎 「将軍の子」P181
あとがき
本作は、保科正之を周囲の人間から見た短編週であるため、保科正之本人の心情はあまり語られません。そのため、第三者から見た正之がどのような人物だったのかという観点で楽しみやすい作品です。では、正之本人の心情はどうだったのか。ぜひ小説を読んで思いを馳せてみてください。