「かかれ柴田に 退き佐久間 米五郎左に 木綿藤吉」
戦国時代好きであれば一度は聞いたことがあるこの言葉。織田信長の天下統一の前半期を支えた名武将たちです。今回、ご紹介する人物は「米のように欠かせない」と評された織田信長の側近中の側近。
ご紹介する小説は、佐々木功著「織田一 丹羽五郎左長秀の記」。描かれる人物は、目立たなくとも堅実な働きぶりで信長の天下を支えた「丹羽長秀(1535-1585)」

つれづれ(@periodnovels)です。「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物・出来事をベースとした小説をご紹介しています。
「織田一 丹羽五郎左長秀の記」はどんな本?
✓あらすじ (安土桃山時代:1582/天正10年~1585/天正13年)
織田信長死す――。突如、絶対的主君を亡くした織田家は大混乱に陥る中、米のように欠かせないと評された「丹羽長秀」は、信長死後の家中の争いで不可解な言動を見せる。しかし、その裏にあった、誰にも見せなかった「織田一の男としての信義」とは。
✓読みやすさ ★★★★☆
文庫350ページと分量は程よく、視点人物が信長公記を記した太田牛一で一貫して描かれるため、とても読みやすい作品です。一方で、物語の構成としては、本編最終章にあたる5章「混迷」からようやく丹羽長秀の考えが露わになるため、人によっては前半で躓くこともあるかもしれません…。が、絶対に後悔しないので、ぜひ最後まで読んで頂きたい作品です!
「丹羽長秀」ってどんな人?
人を立て、武功さえも人に譲り、縁の下の力持ちとして織田家と織田家臣団を支えた人物
※作中の人物像を含みます。

15歳ごろから織田信長に仕えた長秀は、桶狭間の戦いをはじめ信長の天下統一に向けた数多くの合戦に従軍。年が近いうえに、どのような任務も卒なくこなす器用な人物であったことから、唯一、父子2代にわたって信長と姻戚関係を結び、信長から「長秀は友であり、兄弟である」と称されるほど、信頼が厚い人物だったようです。
そんな長秀が手掛けた事業で有名なのは「安土城築城」。現在は残っておりませんが、天下人 信長の威信をかけた築城の総奉行を務めています。その後、織田信孝を総大将とする四国征伐軍の副将を命じられ、大坂での準備中に本能寺の変が勃発。突如、主君 織田信長がこの世を去ります。
ここから、「織田一 丹羽五郎左長秀の記」の物語は始まります。
主君の仇、明智光秀を羽柴秀吉とともに討ち取ると、秀吉と行動を共にするようになり、123万石もの大大名になった後に病死します。織田信長を唯一無二の主君とした長秀は、信長の死後をどう生きたのか。ぜひ本作でお楽しみください。
おすすめポイント・読書体験
① 織田家という超巨大組織を裏方として支える覚悟
② 信長亡き後、老臣 丹羽長秀が次の世代に託すもの
織田家という超巨大組織を裏方として支える覚悟
天下統一間近まで勢力を広げた織田信長は、家臣団もやはり天下一の規模。中国地方・北陸・関東・畿内・四国などのいわゆる方面司令軍に、連枝衆(織田家一門)・政治を回す吏僚・旗本・外様大名など、何十万人もの規模を誇る超巨大組織でした。
加えて、織田信長は癇癪持ちで短気という癖のある主君。こうした癖のあるトップを持つ巨大組織を円滑に回すためには、武力や政治といった能力だけでなく、家臣からの信望・信義を担う人物もまた必要なもの。この役回りを担った人物こそが丹羽長秀だったのです。
織田信長の存命時から、そして亡くなった後も、織田家という超巨大組織を円滑に回すべく陰から支え続けた丹羽長秀の知られざる覚悟が一つ目(特に本作前半)の見どころです。
さすが、と言えましょう。
佐々木功著「織田一 丹羽五郎左長秀の記」P235
信長様ご存命のときより、人を立て、おのが功も人に譲り、織田家を陰から支えてきた丹羽様ならではのお振舞でありました。
丹羽様はいつも信長様の傍らに控え、武功者を称え、こんな風に口添えをしました。
それを受けて信長様はこう言うのです。「で、あるか」と。
信長亡き後、老臣 丹羽長秀が次の世代に託すもの
信長亡き後に勃発した織田家中の争いにおいて、丹羽長秀の取った言動は、日和見にも取れる不可解なもの。「織田一の男」と呼ばれながら、目下の羽柴に与するなど、「信長なしでは生きられない男」と嘲られる場面もありました。
しかし、長秀が取った行動は、織田信長を唯一無二の主君として仕えた丹羽長秀の覚悟を示したものであり、かつ信長死後の時代を担う者たちへのエールでもあったのです。
まるで多様な生き方を後押しするかのような丹羽長秀の行動から、こんな上司の元で働きたい!と思わずにいられない作品です。
しかし、なんと、難しいことをしたのでしょう。
丹羽様は、その苦しみも困難も表に出さず、粛々とやりとげたのです。
そして、ようやく信長様の後を追える。
ならば、誰に丹羽様をとめることができるでしょうか。我らが殿は――
佐々木功著「織田一 丹羽五郎左長秀の記」P331
あとがき
本作の主人公:丹羽長秀は目立たずも堅実に織田家を支え切った人物であり、その人柄・能力から信長の死後に台頭した羽柴秀吉からも評された人物でした。作中でも、長秀の子:長重がこう評します。
あの織田信長に仕えて一の者、その信長公が亡くなったのに、今度は太閤殿下(羽柴秀吉)にも厚き信をえて、百万石を得た。
佐々木功著「織田一 丹羽五郎左長秀の記」P289
そんなことができる者、他にはおるまい。いや、真にそうであったぞ。
わしもな、あの時は、父上が日和見をしとるように見えて、ずい分と逆らったものだ。
だがな、思えばよくぞあのように耐えて、家の舵取りをしたものだ。
あの時は、己の欲と感情を露わにする者ばかりだったわ。そんな奴らの狭間でな。
そして、本作の著者:佐々木功は、この太閤殿下こと羽柴秀吉の若き姿を描く作品「たらしの城」も書いています。本作では描かれない、若く明るい秀吉の魅力があふれる作品です。ブログでも紹介しておりますので、ぜひ合わせて一読ください。