人との縁が拓いた生きる道 |「きらん風月」永井紗耶子著

歴史小説
つれづれ
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つれづれ(@periodnovels)です。今回ご紹介する小説は、第169回 直木賞受賞者の永井紗耶子氏の受賞第1作です。

今回ご紹介する小説のテーマは、

繋ぎ繋がれた人との縁が導いた、文人としての生きる道

ご紹介する小説は、「きらん風月」永井紗耶子 著。主人公は、大坂と江戸を繋ぐ東海道において、武士・浮世絵師・戯作者・名物爺さん…ひっくるめて”文人”として名をはせた「栗杖亭鬼卵(1744-1823)」。

食うには困らないものの、文人としては中々芽が出ないまま60歳を迎えた鬼卵は、いかにして自分自身の生きる道を見つけたのか。迷い・悩み・葛藤も抱えながらも、楽しく生きるを体現した鬼卵の人生とは。

「きらん風月」はどんな本?

✓読みやすさ ★★★★★

✓あらすじ

本作の主人公は2人。1人は、武士の家に生まれながら自由に生きた文人:栗杖亭鬼卵(1744-1823)。もう1人は、政治の側に身を置く元老中の堅物:松平定信(1759-1829)。本作は、鬼卵が物語る自身の半生を松平定信が聞く構成となっており、語られる鬼卵の人生は、政治側の人間ではないありふれた庶民の人生です。

ありふれた人生でありながらも、一人の人間が歩んだ70年という長い人生には、それ相応に迷い・葛藤・苦しみ、そして何よりも楽しみがあった悔いのない生き方とはどういうことか。読了後、栗杖亭鬼卵という人物と会話がしたくなる作品です。

「栗杖亭鬼卵」はどんな人?

多くの人に出会うことで、悔いのない人生を歩み切った人物
※作中のイメージです。

江戸時代中期、河内国茨田群(現:大阪府守口市・門真市など)の下級武士の家に生まれた栗杖亭鬼卵は、青年期の頃より父に連れられ、当代の文人墨客たちに揉まれながら育ちます。この頃から既に文人としての才が見え隠れしていたとか。

ここから「きらん風月」の物語は始まります。 ※作中では、鬼卵の回想として描かれます。

この後、鬼卵の回想として文化15年(1818年)までが描かれるため、鬼卵の半生の紹介は割愛しますが、作中で松平定信との邂逅を果たしてから5年後にあたる文政6年(1823年)に亡くなります。彼の墓は、今もなお深澤山長松院(静岡県掛川市)に残っています。

ちなみに、もう一人の主人公:松平定信は多くの政策を行った人物のため、多くの文献が残っていますので、このブログでは定信の本作の後を人生を少しだけ。

鬼卵との邂逅から約10年後にあたる文政12年3月12日。死者2,800人を出した文政の大火が起こり、病床にいた定信は担がれたまま同族の屋敷に避難します。避難先では病ながら藩の政治について嫡子:定永と語りあったとか(結局のところ中々人は変われないものです)。その後、容体が悪くなり、同年5月に満70歳で亡くなります。

おすすめポイント・読書体験

ここが読書ポイント

① 人との縁が拓いた鬼卵の人生
② 鬼卵と定信。対局たる2人の人生

人との縁が拓いた鬼卵の人生

鬼卵の生家は小禄の武士であり、文人との交わりを持つ家ではありませんでしたが、父が出向いていた文人たちの集いに参加したことで、鬼卵は文人たちの虜になります。

武士としての仕事を継いだ後も、文人たちと集っては楽しんでいたところ、人生の転機となる「狭山騒動」が勃発。鬼卵はここに至り、武士としての生き方ではなく文人墨客として生きていくことを明確に意識します。

しかしながら、その後は食うには困らないが売れている(作中表現:卵が孵る)とは言えない日々が続きます。心機一転、文化の町たる大坂を離れて東海道を巡るうちに、妻に先立たれ、飢饉を目の当たりにした鬼卵。時にふさぎ込み、時に自身の才を疑いながらも、人との縁を大事にし続けた鬼卵が辿り着いた、鬼卵なりの文人墨客としての生き方とは何だったのか。

鬼卵の師にあたる栗柯亭木端りっかていぼくたん木村蒹葭堂きむらけんかどう・上田秋成・円山応挙まるやまおうきょといった文人たち。そして、鬼卵の弟子のような関係にあたる夜燕やえん・須美・福地玄斎・海保青陵かいほせいりょうなどの若き文人たち。東西の文人と文人の縁を繋いだ鬼卵の生き方が本作の一つ目の読みどころです。

「わては未だに手の内から、鬼も蛇も出ません卵なんか握ってへんのかと違うやろか」
不安のまま吐露すると、木端は鬼卵の手を包むように握った。
「まだよう温まってへんのや。いつ孵るかなんて、人それぞれ。卵の中身が違うさかいな。早う孵るのもおれば、遅う孵るのもおる。ただ、在ることだけは忘れるな。中に何が入っているかは、お前さんの生き方次第や」

永井紗耶子著「きらん風月」 P123

鬼卵と定信。対局たる2人の人生

ご紹介した通り、鬼卵の人生は青年期を契機とにしながらも、芽が出ずに迷いに迷った壮年・中年期を過ぎた60歳ごろからようやく自身が見つけた自分なりの文人としての道を歩み始めます。

他方、松平定信は青年期からエリート官僚としての道を歩み、当代60歳になるまで、自身の歩む道を疑うことなく突き進んで真っ直ぐに突き進んできました。しかし、定信は60歳の還暦を迎えたあたりで自身の歩む道を見失います。嫡子:定永や長年連れ添った側近から、隠居の身なのだから政治から身を引くようにと諫言されるのです。現代で言うところ、部長職だった会社員が再雇用の平社員となった後に、部長職当時のやり方では煙たがられるような感覚に近いでしょうか。

60歳を超えてようやく自分の道を見つけた鬼卵と、60歳にして自分の道を見失う定信。主人公2人が歩んできた人生の鮮やかなる対比が本作2つ目の読書ポイントです。

あとがき

対局な人生を歩んだ鬼卵と定信ですが、定信は鬼卵に出会うことで自分以外の視点で見ることの大切さに気付きます。年齢を重ね知識・経験が増えてくるからこそ、忘れないでおきたい教訓ですね。

ちなみに、類似の時代を描いた作品としては、本作と同じく永井紗耶子氏が描いた「商う狼―江戸商人 杉本茂十郎―」がおすすめ。様々な経済改革により名を馳せながらも、政治に消された伝説の商人:杉本茂十郎(生年不詳-1818年)を描きます。

また、本作は現代では第2の人生(セカンドライフ)とも言われる60歳前後を起点にした物語です。同様に高齢期に入ってから活躍した人物を描く作品としては、澤田瞳子著「月ぞ流るる」がおすすめ。2024年の大河ドラマ:光る君へでも話題の「赤染衛門(朝児/965?-1041?)」が主人公の作品です。

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