
つれづれ(@periodnovels)です。「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物・出来事をベースとした小説をご紹介しています。
「大方は出雲のほかにかみはなし」
意味は、出雲守を称した「大岡忠光(1709-1760)」のような”神”はいないと、彼の治世を称えた当時の一般民衆の言葉だとか。
今回、ご紹介する作品は、彼が生涯を通じて支え続けた江戸幕府 第九代将軍「徳川家重(1712-1761)」を描く村木嵐 著「まいまいつぶろ」。障害により口のきけない将軍:家重と、後ろ盾のない小禄の武士:大岡忠光は、いかにして主従を越えた最強のふたりとなったのか。

本作の外伝とも呼べる「まいまいつぶろ 御庭番耳目抄」は↓で紹介しています!
「まいまいつぶろ」はどんな本?
✓あらすじ
江戸幕府 中興の祖:徳川吉宗の長男ながら、生まれつきの障害により、会話・筆談が難しい徳川家重。彼の人生は、唯一コミュニケーションが取れる小禄の武士「大岡忠光」との出会いによって変わってゆく。将軍と直に会話ができる唯一の家臣だからこそ、忠光に向けられる容赦のない嫉妬に政略。口のきけない将軍と後ろ盾のない小禄の忠光は、多くの逆風の中、いかにして、第九代将軍として、その治世を務め上げたのか。江戸幕府史上、最強のふたりを描く。
✓読みやすさ ★★★★☆
単行本330ページと力まず読めるちょうどよい長さながら、静かに、そして厳かに話が進んでいく作品です。家重と忠光のコミュニケーションはこの2人以外には分からないため、この世界観を壊さないよう、2人以外の第三者視点で物語が進んでいきます。そのため、視点となる人物が頻度高く変わるため、少し読みづらさを覚えることも…。ただ、家重・忠光に対して、どのような感情を抱いているのかを押さえておけばスムーズに読め進められる作品です。
「徳川家重・大岡忠光」ってどんな人?
江戸幕府史上、どんな主従よりも心から信頼し合った最強のふたり
※作中のイメージを含みます。

徳川家重は、江戸幕府中興の祖であり、第8代将軍 徳川吉宗の長男として生まれます。しかし、彼は生まれつき障害を持っていました。体も頭も成長した後も、障害のせいで蔑みを受けながら、家重は大人になっていきます。
一方、大岡忠光は、わずか300石の旗本(小禄の武士)の家に生まれた長男で、本来であれば将軍の小姓になれる身分ではありませんでした。
しかし、家重のお目見えの際、たまたま忠光が前列に座していたことから、2人の運命は大きく変わっていきます。
ここから「まいまいつぶろ」の物語は始まります。
この後、徳川家重・大岡忠光が亡くなるまでを描くため詳細は割愛しますが、周囲から将軍職が務まるのか、本当に通訳を務められているのかと、父からすら疑惑の目を向けられ続けた主従の2人は、いかにして将軍となり、その治世を全うしたのか。静かに、そして厳かに描き出される「江戸幕府史上、最強の2人」が貫いた信念と苦悩とは。
おすすめポイント・読書体験
① ただ一人の通訳「大岡忠光」が守り続けた2つの教えと抱え続けた苦悩
② 人が人に想いを伝えるということ
ただ一人の通訳「大岡忠光」が守り続けた2つの教えと抱え続けた苦悩
家重は生まれつきの障害で、言葉が上手く話せず、手の震えで筆談もできません。つまり、家重は自分の意思を伝える術をもっていませんでした。これは、普段の生活すら一大事。例えば暑くて障子を開けてほしい時、障害により歩くことも億劫な家重は自分で開けることはおろか、誰かに命じることもできなかったのです。
そんな中、偶然お目見えした大岡忠光は、最初から家重の言葉を唯一、理解することができました。忠光に出会い、忠光という通詞(=通訳)を介することで「自分の意思を伝える方法」を得た家重の生活は一変します。
しかし、これは同時に大岡忠光に、嫉妬や政略の罠が降りかかることでもありました。家重が将軍になった暁には、唯一将軍の言葉を伝えることができる忠光は、いかようにも家重の言葉を変えることができてしまうからです。
そんな忠光は、側仕えをする中で生涯をかけて貫いた教えが2つありました。
1つ目は、「家重の目と耳にはなってならぬということ」
2つ目は、「洟紙(ティッシュ)一枚すら、誰にももらうなということ」
特に2つ目は、賄賂を貰っていると誤解されてしまうことが理由ですが、後年、妻が領民からもらった紙人形ですら返してこいと命じるほど、厳格にこの教えを守り抜きました。
なぜ、忠光はこれほどにまで神経質に教えを守り抜いたのか。誰よりも真っ直ぐに家重を慕った「大岡忠光」が、生涯をかけて守り抜いた信念と抱え続けた苦悩が本作の見どころです。
「忠光が家重様の御身を思えば思うほど、周りにはさざ波が立つ。彼奴はそれをも分かっておるのですが、己を守るようなことは一切申しませぬ」
村木嵐 著「まいまいつぶろ」P119
人が人に想いを伝えるということ
本作において、家重と会話ができたのは忠光だけ*ですが、コミュニケーションが取れたのは忠光だけではありません。(*正確にはもう一人、会話ができる人物が登場しますが、割愛します)
例えば、家重の正室である比宮。彼女の場合は、事前に合図を決め、文(手紙)でやり取りをしておくことで、コミュニケーションを成り立たせていました。しかし、皇族の娘が障害のある将軍と、ここまでの仲に至るまでには多くの苦労と理解があったもの。
こうした彼らの仲を取り持った人物こそ、家重と忠光の2人を間近で見てきた老中:酒井忠音でした。忠音は、長い間2人を見てきたからこそ、いかにすれば想いが人に伝わるか、そして伝わってしまうのかを理解していたのです。
例え言葉にはならずとも、人が人に想いを伝えるということはどういうことなのか。自由に会話ができないからこそ、優しく相手を想う奥ゆかしさに、胸がじんわりと暖かくなる作品です。
「仰せにならずとも、伝わることは多うございますぞ」
村木嵐 著「まいまいつぶろ」P120
比宮ははっと顔を上げた。
忠音が丸い顔ににっこりと笑みを浮かべた。
「だからこそ人というものは、口がきけずとも思いを伝えられるということになりますな」
あとがき
「主従の絆」を描いた作品としては、本作から約半世紀ちょっと下った時代を描く畠中恵著「わが殿(上/下)」と、時代も舞台も異なる垣根涼介著「極楽征夷大将軍」がおすすめ。いずれもコミカルで軽妙な文体が特徴なため、「まいまいつぶろ」とは少し文体が異なりますが、主従の絆のほかに、”経済”の側面が入る作品が「わが殿(上/下)」、”支える側の苦労”が色濃く描かれる作品が「極楽征夷大将軍」です。ネタバレ厳禁で紹介していますので、よかったらのぞいて言ってください。
ちなみに、垣根涼介著「極楽征夷大将軍」は、直木賞受賞作品でもあります!