“江戸幕府の外交員”たちが護らんとした日本の国|「万波を翔る」木内昇 著

歴史小説
つれづれ
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こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、実在の人物や出来事を元にした小説を紹介しています。

このブログは「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物をベースとした小説をご紹介しています。

今回ご紹介する小説は、木内昇 著「万波を翔る」
描かれる人物は、江戸幕末に前例のない”外交”を担った田辺太一(1831-1915)」
本作のテーマを一言にまとめると…

史上初めて先進諸外国に立ち向かった”江戸幕府の外交員”たちが護らんとしたもの

日本を束ね、執政を担ってきた徳川の歴史を貴殿は軽んじておられる。国を開き、異国と渡り合ってきたのは、まぎれもない公儀(江戸幕府)なのだ

木内昇 著「万波を翔る」P592

江戸時代末期、戦艦と”外交”という武器を手に押し寄せた先進諸外国に対して、田辺太一をはじめとする幕府の役人たちは、前代未聞の”外交”にぶつかっていった。熱いお仕事小説でありながら、案外、何事もなんとかなるものだと、少し肩の荷を軽くしてくれる作品です。

おすすめポイントの前に簡単にあらすじをご紹介…

江戸時代が終焉を迎えようとする1850年代後半から明治維新(1868年)までの批判されがちな江戸幕府の外交を克明に描き出す作品です。

攘夷運動・力のある西国雄藩・外国人嫌いの朝廷・権力争いに暮れる幕府の重鎮たち。役職のない下級役人の太一にはどうにもならない環境に振り回されながらも、250年間にわたって政を担ってきた江戸幕府の武士として、先進諸外国から日本を護らんとする多くの幕臣たちを描きます。

本当に江戸幕府の外交は批難されるべき内容だったのか?
学んできた歴史感覚がひっくり返る新感覚の歴史お仕事小説です。

「田辺太一」はこんな人

田辺太一は、幕臣儒学者の父:田辺石庵の次男として1831年、江戸に生まれます。昌平坂学問所(現:東京大学の源流)、甲府徽典館(現:山梨大学の前身)に学ぶなど、成績優秀な人物でした。本作は、長崎伝習所を経て、幕府の外交を務める”外国局(外国方)”に配属されるところから始まります。

本作の田辺太一は、とにかく真っすぐで思ったことがすぐに口に出てしまうタイプ。表面は友好的でも腹の内では騙し合いの外交には向いていない…と思ってしまう人物です。

しかし、太一は「幕末三俊」の呼び声高い水野忠徳の下で学び、同じく「幕末三俊」の岩瀬忠震・小栗忠順の影響を受けて、外交官としての素地を身につけていきます。環境に振り回され、多くの挫折を味わいながら、それでも日本の文化や民の生活を第一とする江戸幕府の外交を実現せんと奮闘を続けます。

そして、ついに江戸幕府が終焉を迎えるとき――彼が新政府へ差し出した外交の極意を示した書面の意味は。責を負うほどの立場にはあらずとも、誰よりも真っすぐに日本の国を守らんとした幕臣”田辺太一”の激動の幕末外交を描きます。

おすすめポイント・読みどころ

日本の国を護るため…”外交”に携わった数多の男たち

本作で外交を担った幕臣たちは、田辺太一以外にも登場します。それぞれが考える”外交の要”は人により少しづつ異なります。しかし、全員の想いの根底に通ずる「日本の国・文化・民を護る」ことは、共通しているのです。
また、江戸幕府の外交は不平等条約と何かと批難されますが、武力で負ける中、異国からの新緑や総突を避けながら、技術だけは何とか取り入れようと明治よりに前に奮闘した男たちの苦闘を感じることができます。

外交においては国の理想というものをしかと支柱に据えねば立ちゆかなくなると存じまする。異国の価値に圧され、法や暮らし、私どもの在り方まで、それに従わざるを得なくなったとき、我が国は滅びの道を辿ることになりましょう。ことに今は、武備の面で異国には敵いませぬ。その分、弱い立場にございます。ただそれだけに、我がほうの、つまり日本の形というものを、根気強く異国に訴えていくよりないのではございませんか

木内昇 著「万波を翔る」P497

とにかく熱い!男たちの仕事の流儀

本作はお仕事小説としての側面もあり、登場する人物たちそれぞれが持つ仕事の流儀が語られます。サラリーマンである自分自身、気を付けないと…と思うところもあり、まるでプロジェクトXを見ているかのような、仕事への情熱にグッとくるシーンが多彩です。私が特に好きな3つのセリフを引用でご紹介します。

水野忠徳(外国奉行を務めた幕末三俊の一人)
「素直に仕事を引き継いでくれればよいが、新たに役に就く者というのは、前任の奉行とはことごとく逆しまな方策をとりたがる。これがなにより厄介じゃ。いかにこれまでのやりかたが過不足なくとも、前任者より優れたところを見せたいという、くだらぬ意地のせいで流れが潰え、積み上げた者が無に帰するからじゃ。うつけというのは、前例を覆せばすなわち己が認められると考え違いをしておるゆえ、手に負えんのじゃ」

堀利煕(外国奉行の他、函館奉行・神奈川奉行を歴任)
「もしそなたが勤めを究めたければ、批難に刻を割かぬことじゃ。他者を愚弄し、落ち度をつつき、嘲ることに力を傾けぬことじゃ。これに興じるのは、他を貶めることでしか己を保つことのできぬ、ただの能なしじゃ。外国局にあってこの後の世の大事を司る者が、さような愚物に成り下がってはならぬ。批難する暇があるのならば、代案を考えることじゃ。よりよい先を見据えることじゃ」

・小野友五郎(咸臨丸航海長)
「長く家人を務めれば、己の好まぬ役目を与えられ、それに従わねばならぬ時もござろう。そのときに腐らず、面白がることで、道とは拓けていくものじゃ」

木内昇 著「万波を翔る」P187、164、356

あとがき

本作はあくまでも江戸幕末の10年に満たない期間を描いており、田辺太一の半生というには少し短い期間かもしれません。けれど、江戸城明け渡しの際の太一のセリフは、不思議なほどに爽やかで希望を感じさせるものです。

自分の力だけではどうにならない大きなことに振り回されることもあるれど、「本気で取り組めば案外何事もなんとかなるものだ」と、そっと力の入った肩をほぐしてくれます。

こういとうときは強がるのがいいのだ。どうにもならなかったってぇことを受け止めて、またのんびりと進んでいけばいいのだ。いかで時勢とて、人の歩みを止めることなぞできねぇさ

木内昇 著「万波を翔る」P668

ちなみに、作中に出てくる田辺太一の兄:田辺忠篤の息子「田辺朔朗」は後に太一の後見を得て育ち、日本の近代土木工学の礎を築きます。こうしたところにも、歴史小説の面白さを感じられる作品です。

関連作品

✓舞台や時代は違うけれど…熱く仕事に立ち向かった人々描くお仕事小説

「夕は夜明けの空を飛んだ」岩井三四二 著
「万波を翔る」が描かれる時代から約30年ほど下った1900年初頭に勃発した日露戦争を舞台に、当時の最新鋭機器”無線機”の開発に携わった「木村駿吉」を描きます。田辺太一と同様に、前例のない仕事に手探りで立ち向かっていく気概あふれる作品です。

「落花狼藉」朝井まかて著
こちら「万波を翔る」とは時代が異なり、約240年近く遡った江戸時代初期の江戸の吉原遊郭を舞台に、吉原遊郭の礎を築いた「庄司甚右衛門」を描きます(主人公は架空の妻”花仍”)。「万波を翔る」でも吉原は登場しますが、江戸随一の繁華街を誇るまでの苦悩の軌跡を描き出します。

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