
こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物・出来事をベースとした小説をご紹介しています。
今回ご紹介する小説は、神谷正成著「さくらと扇 国を護った二人の姫」
描かれる人物は、戦国時代後期、滅びゆく足利の血を関東の地で守った二人の姫。
「もう一つだけ、お願いしたい儀がございます」
神谷正成著「さくらと扇」P93
頭を下げたまま言葉を続ける。
「うむ、なんじゃ」
「足利の血を残しとうございます」
「さくらと扇」はどんな本?
✓あらすじ
時代:戦国時代後期~江戸時代前期(1590-1655)
足利尊氏に連なる室町幕府の将軍家の血脈として、関東地方の小勢力ながら誇りある家を保ってきた古河公方家の足利氏姫と、小弓公方家の足利嶋子。豊臣秀吉による関東征伐・徳川家康による江戸幕府と、変わりゆく時代の中で、二人の姫はどのように小さな足利家の血脈を保ったのか。激動の戦国乱世を乗り切った実在の女性を描く作品です。
✓気軽に読める度:★★★★☆
文庫413ページと文量は読みやすいですが、足利嶋子を主人公に、夫:塩谷惟久・足利氏姫など、幾人かの視点から物語が進むこと、度々回想シーンが挟まれることなど、少し複雑に思えるところも。ただ、家系図や地図などの読者の手助けもあるため、時間をかけながらじっくり読みたい作品です。
「足利嶋子」・「足利氏姫」ってどんな人物?

足利家の血脈を保った2人の姫「足利嶋子」と「足利氏姫」を簡単にご紹介
①足利嶋子/月桂院(小弓公方:足利頼淳の娘/1568-1655)
室町幕府を開いた足利尊氏の血を引き、関東公方→古河公方→小弓公方(古河公方より派生)と連なった小弓公方の家に生まれます。しかし、実態としての権力・権勢はほとんどなく、過去から連綿と繋がれてきたその類稀なる「血縁」により家を保っている状態でした。
そんな嶋子の人生最初の転機は夫:塩谷惟久との結婚。この前後から、本作「さくらと扇」は始まります。
「さくらと扇」では、足利嶋子が亡くなるまでを描いているため、嶋子の生涯は割愛しますが、足利家の血脈を残した大きな功労者のひとりです。ちなみに、足利嶋子は豊臣秀吉の側室となりますが、多数いた秀吉の側室の中でも最も家柄が高かったとか。現在は東京都新宿区市ヶ谷にある月桂寺にお墓があります。
②足利氏姫(最後の古河公方/1867―1959)
嶋子同様、足利尊氏の血を引いていますが、嶋子よりも嫡流(本流)にあたるのが氏姫です。具体的には、5代目鎌倉公方:足利成氏(氏姫の祖父の祖父)が「古河(茨城県古河市)」に拠点を移したことから始まった古河公方家の嫡流にあたります。
氏姫には弟妹がいましたが2人とも早世したため、父:義氏の死後に、最後の古河公方となりました。この前後から、本作「さくらと扇」は始まります。
嶋子同様、「さくらと扇」では、足利氏姫が亡くなるまでを描いているため、詳細は割愛しますが、数代にわたりいがみ合っていた「古河公方家」と「小弓公方家」を統合し、足利家の血脈を残すことに繋がった喜連川藩を興した人物です。
ちなみに、喜連川藩はわずか5,000石ながら江戸幕府からは10万石の大名並みの格式を受けた唯一特別な藩だったとか。
おすすめポイント・読書体験

「さくらと扇」のおすすめポイント・読書体験をご紹介します!
変わりゆく権勢と変わらない人の想い
主人公の嶋子・氏姫はともに、時代が時代であれば将軍の娘としての順夫満帆な暮らしが待っていました。しかし、彼女たちが生まれたころは既に関東の足利公方家は風前の灯。嶋子は寺で育ち、氏姫に至っては跡継ぎの男子がいない状態でした。加えて、足利公方家を力で制した北条家が豊臣秀吉により潰され、豊臣家も徳川家に滅ぼされるなど、彼女たちが生きた時代は足早に権勢がうつろいだ時代でもありました。
そもそも嶋子と氏姫は、元を辿れば権勢側の人物。より世の儚さは身に染みたことでしょう。武家の時代、男子であればお家再興と奮起するところも、彼女らは女子であったために、別の形で家を残す「女子の戦」、つまり「血を残すこと」に身を投じていきます。
いえ、血を残すのは、女子の戦でございます
神谷正成著「さくらと扇」P57
しかし、権勢が変わるごとに翻弄される彼女らの務めは過酷なもの。夫の出奔、夫との死別、実の父との死に、父のような人物との別れ、何よりも二人を縛る足利公方家の血――。彼女たちを襲うこれらの苦難を、二人は時に助けられ、時に足利公方家の血を使うことで乗り越えていきます。
そうして、うつろいゆく権勢も落ち着いた晩年。幼少の頃、意味もよく分からずに話していた「天」とはどのようなものか、足利嶋子はついに思い至ります。衰退してゆく足利の家で、血縁を保ちつつも、そればかりに固執しなかった嶋子が晩年に至った「天」とは何だったのか。
ちなみに、「天」という言葉にも少し繋がりますが、彼女らが特に大切にしたのが「人と人との繋がり」でした。貴い血脈だけに依存せず、出会う人々との縁を大切にした二人の姫の物語から、改めて身近な人ととの縁を大切にしたいと思わせてくれる作品です。
あとがき
本作では、天庵こと小田氏治(戦国時代に詳しい方はよくご存じかもしれません)という人物が非常に重要なポジションで登場します。小田城(現:茨城県つくば市)の城主であった人物で、佐竹氏に先祖伝来の小田城を奪われ、最期は故郷から遠い地で亡くなります。
そんな彼が作中でこんな言葉を残します。
生まれた川に戻ることがかなわなかった鮎は、上った川で力ある限り、生きるしかないのでござる
神谷正成著「さくらと扇」P340
故郷を意味している「生まれた川」は、ある意味で望んだ場所とも読み変えらるのだと思います。たとえ、自分の今いる場所が、たとえ望んだ場所ではあらずとも、その場で力をつくして生きていく。そんな覚悟が伝わってきます。