
つれづれ(@periodnovels)です。「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物・出来事をベースとした小説をご紹介しています。
「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」
今回、ご紹介する垣根涼介著「極楽征夷大将軍」の主人公である、室町幕府 初代将軍「足利尊氏(1305-1358)」が、毎年の書初めで残した言葉とされています。
天下を差配する政治は私心なく、真っ直ぐに行われるべきものであるという意味ですが、そもそも、尊氏はあまり政治権力に対する欲はなかったとか。やる気なし・使命感なし・執着なしの空っぽの尊氏は、いかにして天下人となったのか。
ようやく分かる……。
垣根涼介 著「極楽征夷大将軍」P542
新田義貞、楠木正成、後醍醐天皇らの稀代の傑物たちは、ただぼんやりとしているだけが能の兄の前に、何故に儚くも滅び去ったのか。
「極楽征夷大将軍」はどんな本?
✓あらすじ
鎌倉幕府の名門:足利家の側室の子供として生まれた足利尊氏は、鎌倉幕府を滅ぼし、後の建武の新政を滅ぼし、室町幕府を打ち立てた天下人。しかし、尊氏という人間は、やる気も使命感も執着もなかった”無能な”人間だった。武士の世が壊れかけていた激動期、「空っぽの尊氏」は、なぜ天下人に成り上がれたのか。同じ時代に命を散らした綺羅星のごとき武将たちとともに、その生涯に迫る。
✓読みやすさ ★★★★☆
単行本500ページ強と少し厚めですが、尊氏のグダグダさを際立たせる軽妙な文体に、くすっと笑いながらテンポよく読める作品です。一方、日本全国規模で話が進むため、旧国名(土佐とか、駿河とか)が手元にないと手が止まってしまいます。読者の手助けになれば…と、参考に旧国名の地図を貼っておきます。

ちなみに、本作はとにかく名前のある登場人物が多いです(100人は軽く超えてくるんじゃないかな…)。が、そこまで気にしなくて大丈夫です。2度目、3度目の登場でも、本文中に説明的でない紹介が織り込まれていたり、ストーリー全体の理解には影響を及ぼさないこともあり、多少は誰だっけ?の状態でも問題なく楽しめますので、ぜひ手を止めずに読んで頂きたい作品です!
「足利尊氏」ってどんな人?
やる気なし、使命感なし、執着なし、されどなぜか天下人
※作中のイメージを”大いに”含みます(笑)

足利尊氏は、鎌倉幕府における名門:足利宗家における側室の子供(=庶子)として生まれます。別に正室の嫡男(家を継ぐ男児)がいたことから、自分自身の立身出世にあまり興味がないまま、幼少期を送りますが、足利家を継ぐべき嫡男:足利高義の早世により一転。事実上の足利家を背負う人物として、人生が大きく動き出します。
このあたりから「極楽征夷大将軍」の物語は始まります。(幼少期も丁寧に描かれます)
この後、尊氏が死ぬまでを作中で描くため詳細は割愛しますが、単なる庶子であり、周囲どころか自分自身すらも、その人生に期待していなかった足利尊氏は、結果的に生涯で2度も政権を転覆させる人物に成り上がります。日本の歴史上、3人しか存在しない武家政権(幕府)を立ち上げた足利尊氏とは、いったい何者だったのか。
おすすめポイント・読書体験
① 空っぽの尊氏は、なぜ天下人になれたのか?
② 地位が変わることで、変わる家臣と変わらない尊氏
空っぽの尊氏は、なぜ天下人になれたのか?
本作で描かれる足利尊氏は、とにかく無能。やる気なしはもちろん、政治権力への欲もなく、能力と言えば周囲に言われるがまま流されること。言いかえると、「確固たる自分自身がない」ということでもあります。
そんな「空っぽの尊氏」は、なぜ天下人になれたのか?
それはもちろん、尊氏を支えた有能なる家臣(例:弟である足利直義、足利家の執事である高師直など)がいたからこそ。じゃあなんで、有能な家臣たちは、無能で空っぽな尊氏を支えたいと思ったのでしょうか。これが本作1つ目の読書ポイントです。
何ごとも思い通りにはいかない世の中だからこそ、支える側の人間が抱く「ちょっとした言動への感動」や「ある種の徒労感」が、とても胸に響いてくる作品です。

特に、鎌倉幕府に対して反旗を翻そうと決起するシーンといったら、尊氏自身の人生もかかっているのにひどいもの(笑)。支える側の苦悩がなんとも胸に響く…
「……はい。であれば、致し方ありませぬ。決起いたしまする」
垣根涼介 著「極楽征夷大将軍」P147
高国(弟:足利直義)は密かにため息をつく。この消極性、やる気の無さよ、と感じる。これではまるで子供が親に怒られて、嫌々ながらも従ったようなものではないか。
地位が変わることで、変わる家臣と変わらない尊氏
「空っぽの天下人」足利尊氏は、勢力を増すとともに官位・役職の昇進を重ねていきます。それは同時に、尊氏を支えた弟の足利直義・執事の高師直といった有能な家臣たちの権勢も増していく一方でした。
権勢が増していくと、どうしても欲や政敵排除を考えてしまうもの。実際に、これらの有能な家臣は、より自分の優位な環境をつくるべく奔走します。そして、こうした行動は周りから見ると、昔に比べて「変わってしまった」という印象を持たれることでしょう。
しかし、尊氏は空っぽであったからこそ「何も変わりません」でした。武士の頂点である征夷大将軍となっても、気前よく恩賞を配り、権力欲は持たず、政敵になりうる一門も大切にしたのです。
確固たる自分がないからこそ、地位が変わっても人間そのものは徹頭徹尾、変わらない。「本当の自分」って…と悩みを抱く人にこそ、ある意味で矛盾のある足利尊氏の生き方が尊く見えてくる一作です。
「わしはわしじゃ。名が変わり、位階や官職を拝領したところで中身は変わらぬ」
垣根涼介 著「極楽征夷大将軍」P32
長じてから次三郎(弟:足利直義)が思い出すに、これが兄の終生変わらぬ自己認識であった。
あとがき
「支える人間の苦労・主従の絆」を描いた作品としては、時代も舞台も異なる、畠中恵著「わが殿(上/下)」がおすすめ。江戸時代後期~末期にかけて、借金まみれのたった4万石の大野藩を豊かな藩へ変貌させた内山七郎衛門。主君の無茶ぶりに応えながら、少しずつ強くなる主従の絆が見どころです。