
こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、実在した人物・出来事をベースとした小説を紹介しています。
「日本銀行、東京駅、国技館、国会議事堂…」
いずれも日本の威厳を示す建物ですが、これらの建造物建設に関わり、主導した人物が今回ご紹介する小説の主人公。
今回ご紹介する小説は、門井慶喜著「東京、はじまる」。まさに江戸から東京へ移り変わる明治の黎明期に、建築家として言葉通り東京を建てた「辰野金吾(1854-1919)」
帝国大学教授といえば世間の通りはいいけれども、要するに、
門井慶喜著「東京、はじまる」P91
(黒板の前で、、いばるだけ)
それだけの人生はいやだった。自分の国は自分で建てる。東京を真の都にする。
「東京、はじまる」はどんな本?
✓あらすじ
主な時代:明治時代(1883/明治16年-1919/大正8年)
佐賀唐津藩の下級藩士の子として幕末に生まれた辰野金吾は、工部省工学寮への入学をきっかけに、建築家の道を歩み始める。折しも、時代は江戸から東京へと移り変わる時期。師:ジョサイア・コンドルを蹴落としてでも、辰野金吾は、日本人として、日本の建造物の建築を手掛けなければいけなかった。日本銀行・東京駅などの歴史的建造物を手掛けた日本最初の建築家が持ち続けた意志と覚悟とは。
✓読みやすさ:★★★★☆
文庫434ページと分量はほどよく、建築に関わる専門用語も説明が付されており、全体的に読みやすい作品です。一方、長い時間軸(36年間)を描いていることもあり、人物説明は丁寧に付されているものの、名前のある登場人物が多く、ところどころ誰だっけ…?となることも。丁寧に読みたい方は、メモを取りながら読み進めるのがおすすめです。
ちなみに、登場人物のほとんどは検索すればWikipediaに出てくる偉人ばかり。金吾と関わりのあった人物はどのような生涯を送ったのか、ひと手間かけて検索することで、二度楽しめる作品です。
「辰野金吾」ってどんな人?
江戸から東京への過渡期、日本最初の建築家として揺るがぬ意志を持ち続けた人物
※作中の人物像を含みます。

佐賀唐津藩の下級藩士の子であった辰野金吾は、明治維新の負け組ながら工部省工学寮(のちの東京大学工学部)に第一期生として再試験を経て入学。学生の時分は勉学に励んだことで首席で卒業すると、工部省の公費でイギリス留学に出発。イギリス・ロンドン大学で2年間、イギリスの建築技術を学び、1883年(明治16年)に帰国します。
ここから「東京、はじまる」の物語は始まります。
その後、工部省が廃止されると、帝国大学教授として教鞭をふるう一方、(恐らく)日本初の民間建築事務所を設立。この直後に、師:ジョサイア・コンドルを押しのけて、日本銀行本店の仕事を務めたことから、辰野金吾は建築家として花開いていきます。
その後は日本銀行の地方支店の設計・建築を担いながら、銀行を中心に個人邸宅や温泉施設など、現在も重要文化財として残る様々な建物建築を手掛けていきます。東京駅に代表されるような、赤と白のコントラストに重厚感ある黒の破風屋根を構えた建築物は、後に”辰野式建築”と呼ばれるように。
木造建築ばかりの江戸から石・煉瓦作りの明治に移行した、まさに東京の黎明期に、建築家として数多くの重要建造物を手掛ける一方、日本最初の建築家として後進の指導にも長けた人物です。
「東京、はじめる」のおすすめポイント・読書体験
① 日本最初の建築家として貫いた覚悟
② 師・友を通じて見つめ直す自らの意志
日本最初の建築家としての貫いた覚悟
辰野金吾が生きた時代は江戸から東京へ街が大きく変わる時代。文化・技術のいずれも先を行く西洋列強に一刻も早く追いつかなければいけない中、明治新政府は新しい首都:東京の街づくりを外国人に依頼します。
ことに、ある意味で経済の中心である日本銀行本店の建築までも、当初の依頼がイギリス人建築家:ジョサイア・コンドルだったのです。これにケチをつけたのが、コンドルを師と仰ぐ「辰野金吾」でした。
民間事務所を建てたばかりで少しでも仕事が欲しい事情もありながら、金吾の本当の狙いは別のであった。首都:東京を作るため、日本最初かつ日本最高の建築家は何を為さねばならぬのか。そして、その先に見据えた東京の姿とは。
辰野金吾が終生貫いた、江戸から明治への過渡期の建築家ならではの熱い覚悟が一つ目のおすすめポイントです。
「さっき言っただろう、コンドル先生は次善の策だと。金輪際、変えられぬ案ではない」
門井慶喜著 東京「東京、はじまる」P106
「し、しかし……」
「私があきらめるということは、日本があきらめるということだ」
師・友を通じて見つめ直す自らの意志
前述の通り、辰野金吾は強い覚悟を持って様々な建築を手掛けますが、建築家として依頼を受ける立場である以上、予算・工期・街並みなどから、全ての建物を同じように立てるわけにはいきません。加えて、技術の発展に伴い建築資材は、金吾が慣れた石・煉瓦からコンクリートへ変わっていきます。
ここに至り、辰野金吾は自身の中に確立していたはずの”覚悟・意志”を見失ってしまいます。現代に例えるならば、入社した会社で希望に満ち溢れながらも、上司に取引先に同僚に後輩にと、周囲にもまれ現実にぶつかることで、少しずつ心が曇ってしまうような感覚でしょうか。
金吾も同様に、日本最初かつ日本最高の建築家として実績を積む一方、60歳の大台に近づいたこの時。建築家として最初に抱いた覚悟がどれほど達成されたのか、見つめ直す時期が訪れたのです。
そんな彼を導いたのは、日本銀行本店の建築のために蹴落とした師:ジョサイア・コンドル(1852-1920)であり、学生来の友人:曾禰達蔵(1853- 1937)でした。金吾は、師や友とともに来し方を振り返ることで、改めて自信を深めていきます。
師弟・親友でありながら、同時にお互いを高め合ったライバルとの関係が二つ目の読書ポイントです。
奇兵隊あがりまで動員して、あるいは曾禰達蔵や妻木頼黄のような維新の敗者まで動員して、
門井慶喜著 東京「東京、はじまる」P370
(東京は、拓かれた)
そのことは、まちがいなかった。
あとがき
辰野金吾は日本銀行の建築にあたり、師:ジョサイア・コンドルを罵倒しますが、同様に東京駅建築では、金吾は自らの弟子:松井清足にこう言い放たれます。
「時代おくれ、だけならよろしい。煉瓦は危険です。ひっきょう積み石にすぎません。地震が起きたら崩壊し、なかにいる者はもちろん、たまたま屋外の道路へさしかかった勤め人や子供たちへも雨よあられよと降りかかる。わが国は地震の国です。イギリスやオランダとはちがう。退歩はただちに人を殺す」
門井慶喜著 東京「東京、はじまる」P300
建築に携わる人間ならではの非情に印象深いセリフですが、このことは技術の進展とともに、ただちに職を失ってしまう可能性のある現代人もまた同様。日本最初の建築家に挑んだ金吾の人生と、松井清足のセリフから、挑戦し続けることの大切さが熱く胸に響く作品です。