齢50にして天命を受けた男|「天命」岩井三四二 著

歴史小説
つれづれ
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こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、実在した人物や出来事を題材にした小説を紹介しています。

今回は、岩井三四二 著「天命」
描かれる人物は、住むところのない流浪の身から当時日本一の大大名へ成り上がった「毛利元就(1497-1571)」。
本作のテーマを一言で言うと…

50歳から人生を再定義し、悩み苦しい傷つきながらも”当主”として突き進んだ覇道

見えない大きな力が、あのとき太郎左衛門を動かした。つまり、いま自分がここにあるのは、天命なのだ。
天に選ばれ、天の後押しがあるから自分は生きている。そう確信した。
だから今後は、他人に何と言われようとやりたいことをすると決めた。

岩井三四二「天命 毛利元就武略十番勝負」P301

僧にでもなりたいと思っていた若き元就は、幾多の苦難を経て50歳から覇道を突き進む。時に迷い、時に挫折を繰り返しながら、彼がその生涯で得た毛利家生き残りの道とは。

おすすめポイントの前に…少しだけあらすじを

時は1517年、後に本家を継ぎ毛利元就と名乗る若者「多治比元就」は、大内・尼子の二大勢力に翻弄される弱小国人の次男坊であった。父・兄を亡くし頼れる親族がいない中、我儘でいつ寝返るかも分からない家臣団の長として乱世を生き延びていく。後に大内・尼子を倒し、長州藩の祖となり、長じて幕末にまで影響を及ぼすこととなる毛利元就の一生とは。

※引用ツイートは単行本版ですが、文庫版も光文社より出版されています。

こんなかたにおすすめ

戦国時代の中で最も舞台とされやすい時期ではない戦国時代の前期~中期が舞台のため、中級者も楽しめる作品です。また、作中に舞台となる周辺地図が挿入されているため、初心者の方も読みやすい作品です。

また、主人公の元就自身が悩みながら人生を歩み、50歳にしてやっと進むべき道を見つけるので、「人生って何だろうなぁ」と悩んでいる人こそ読むと元気がもらえる作品です。

一方で、戦国時代の作品のため血生臭い表現もちらほら。そうした表現が全くダメな方は避けた方がいいかもです。

おすすめポイント・読みどころ

毛利元就の武略

田中井手の戦い、郡山合戦、月山富田城の戦いなど、本作では元就の家運が大きく動いた戦いがいくつも描かれますが、中でも元就の武略が炸裂したのが、日本三大奇襲にも数えられる「厳島の戦い」。いくつかの誤算はあったものの、数千の兵しか動員できなかった元就は、いかにして2-3万の兵を動員できる”大内家”と戦ったのか。本作の大きな見どころのひとつです。

弱い者でも強い者を倒す術はある。それは確かなことじゃ

岩井三四二「天命」P14

惣領・当主たるべきものの覚悟

になりたい。そう思っていた若き元就は、周囲に振り回されながらも、ゆっくりとしかし着実に当主としての道のりを歩んでいきます。当主になる覚悟とともに闇を抱えてゆく若き元就は、どのようにして折り合いをつけながら覇道を進んでいったのか。後ろ暗くも、上手く折り合いをつけてゆく元就の生き様を味わうことができるでしょう。

――どこまで行っても、険しい道がつづく。
元就はしばらく門のうちにたたずみ、鈴虫の声を聞きながら、外に広がる闇を見詰めていた。

岩井三四二「天命」P108

75歳の生涯の果てにたどり着いた毛利家が生き残るための道

の息子の後見人から始まり、27歳で当主となり、50歳で天命を得て、10か国にまで勢力を伸ばしたこの人物は、その生涯の果てに、毛利家が存続する道を説きます。それは、毛利家は「天下を望んではならない」ということ。その考えにいたった理由の一端が、本作の末尾で語られます。人生の晩年で思い起こす人生の原点とはいかなるものか。作中で楽しんで頂けたらと思います。

しかし思えばあの経験こそが、人生すべての原点であった。絶望も希望も、策謀も希望も、苦痛も快楽も、みなあそこにあったのだから。あの経験があったからこそ、ここまでやって来られた。

岩井三四二「天命」P567

あとがき

元就・隆元・輝元は、いずれも毛利家当主となる身でありながら、誰も自ら進んで当主になりたいとは思いません。それはある意味で、当主が背負うべき後ろ暗さ・責任を理解していたからであり、必ずしも器にかけていたということではないのだと思います。
いずれにせよ、元就の死後、関ケ原の戦いを経て江戸・幕末と、幾多の苦難はあれど毛利家の団結は崩れず、結果的に毛利は家を残し現代まで続きます。毛利家だけでない数多の家でも同様に、当主をはじめとする人々の思いが繋がることで、「家・家族」の考え方が変わりつつある現代でも、脈々と続いていくのです。

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