
つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、実在した人物や出来事を描く小説を紹介しています。
誰もが一度はタイトルを聞いたことがある「南総里見八犬伝」。
今回ご紹介する小説は、南総里見八犬伝の著者「曲亭馬琴(1767-1848/明和4-嘉永11年)」を描く「秘密の花園」朝井まかて 著。
日本で初めて筆一本で生計を立てたとも言われる曲亭馬琴が目指した、小説家(戯作者)としての高みと、表には見せなかった家族への想いが溢れる作品です。

「秘密の花園」はどんな本?
✓読みやすさ ★★★★☆
単行本466ページと少し構えてしまう分厚さですが、主人公が小説家なこともあり、とても軽妙なやり取りが多く、くすっと笑いながら読み進められます。一方で、迫力のあるシリアスなシーンに、丁寧に埋め込まれた伏線に近い細かな描写(作中でいう襯箋でしょうか…)など、味わい深い作品でもあります。
✓ あらすじ
大名の家臣の家に生まれた馬琴。若き主君に仕えるもパワハラに耐えかねて出奔。放浪の末、当代一の戯作者・山東京伝の門をたたき、蔦屋重三郎の店に奉公して戯作の道に踏み出した。やがて独自の小説の道を開き、ついに人気作者となる。が、妻はヒステリー、愛する息子は柔弱、『南総里見八犬伝』に着手するも板元とはトラブル続きだ。それでも馬琴は滝沢家再興の夢を捨てず、締め切りに追われながら家計簿をつけ、息子と共に庭の花園で草花を丹精する。
朝井まかて 著「秘密の花園」 帯文言より
「曲亭馬琴」はどんな人?
1767年(明和4年)に現在の東京都江東区平野に5人兄妹の3男として生まれた曲亭馬琴(滝沢興邦)は、幼い頃から文芸に触れて育ちます。しかし、9歳の頃に父が急逝した途端、人生がにわかに暗転。給与半減による一家離散・小姓として仕えた若君からのパワハラなど、辛く厳しい生活が幕を開けました。
ここから「秘密の花園」の物語は始まります。
作中では馬琴が亡くなる数年前までを描くため詳細は割愛しますが、辛い少年期を支えた”物語”、そして父の死をきっかけに離散してしまった”家族”が、曲亭馬琴の人生を形作っていきます。
小説家としての高みを登り続けながらも、武家の誇りをもって家族の紐帯を願い続けた曲亭馬琴。日本の小説家の祖に上り詰めながらも、波乱万丈な生涯を送った人物です。
おすすめポイント・読書体験
高みを目指した馬琴が百年続く小説に託すもの
曲亭馬琴は82歳で亡くなるまでに470種もの著作を著し、潤筆料(現代で言う原稿料に近い)のみで生計を立てられるほど、戯作書として当代一にまで上り詰めた人物です。しかし、人気作家になるまでの道のりや、その後の著作活動は容易ではありませんでした。
そもそも武士として主家に恵まれず、金のない身で戯作を読み漁り、人気作家から学んだ上に板元(出版社)で下積み生活をしながらも、中々芽の出ない日々。人気作家となった後も、江戸の民衆に受け入れられない読本(小説)への試行錯誤や板元のトラブルなど、まさに運に見放された馬琴。しかしながら、一歩ずつ努力を重ねることで、小説家としての高みを登っていきます。
そして、ライフワークとなった『南総里見八犬伝』。江戸後期、文化の爛熟期を戯作者として生きた曲亭馬琴は、その物語に何を託したのか。本作一つ目の読みどころです。
七人ではなく八人。なぜ。
「秘密の花園」朝井まかて著
剣士ではなく犬士。なぜ。
読者はその謎に惹かれて読み進めるのだろう。馬琴自身も、書きながらその謎に迫る。史実が照らす虚構の海を行く。
さて、私はいかなる景色を見るのだろう。
舵を取るは、己の筆一本だ。
家族が集う馬琴の花園
本作、もう一つの大きなテーマが「家族団欒」。幼少期に父の急逝により一家離散を経験した馬琴は、その後も母や兄たちを失います。そのため、馬琴にとって武家としての滝沢家再興と家族団欒は生涯の夢として、心に残り続けます。
しかし、百との結婚後も身内の早世は続き、家庭内に目を転じれば、妻の百はヒステリック、長男:興継は病弱で気難しく、一家はまとまりがない始末…。とはいえ、狷介と呼ばれるほど、強情で細かな馬琴の性格にも難があるのですが…。
とはいえ、本心では家族を愛した馬琴は、単なる照れ臭さなのか、家長としてのプライドなのか、家族に本心を明かすことはなく、まるで家族を愛でるかのように、庭に設けた花園を丁寧に手入れします。
回想で思い起こされる色鮮やかで瑞々しい花園にはいつも家族がいた。タイトル「秘密の花園」が象徴する馬琴の心の内が、本作2つ目の読書ポイントです。
あとがき
読了後、最も気になったのは、曲亭馬琴が亡き後の滝沢家。
少しだけ紹介すると、馬琴が最期に期待をかけた嫡孫:滝沢太郎は、馬琴の死後からわずか1年で早世、滝沢本家はここに絶えてしまいます。一方、馬琴の長男である興継の妻:土岐村路は、馬琴の死後から10年後の1858年(安政8年)に52歳で亡くなります。馬琴が失明した後、筆記助手を務めたことが評価され、『路女日記』が刊行され、明治期には貞女として賞賛されたようです。
最後に。本作に関連する作品として、同時代に大坂から東海道にかけて活躍した文人「栗杖亭鬼卵(1744-1823)」を描く永井紗耶子 著「きらん風月」。作中では曲亭馬琴の名も登場します。また、鬼卵に対応するもう一人の主人公:松平定信は、曲亭馬琴が売れる環境を生み出した「文武奨励」の藩政改革を起こした人物。非常に関連性が高いため、読み合わせが抜群の一作です。