雪で閉ざされる故郷を世界と繋いだ兄弟 |「おしょりん」藤岡陽子 著

歴史小説
つれづれ
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つれづれ(@periodnovels)です。「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物・出来事をベースとした小説をご紹介しています。

日本製のめがねフレームで、95%という圧倒的シェアを誇る福井県の「鯖江メガネ」はご存じでしょうか。

今回、おすすめする小説は、今から約120年前、大きな産業のなかった福井で初めてめがねフレームの生産事業に取り組んだ増永兄弟と、兄弟を支えた妻を描く、藤岡陽子 著「おしょりん」

増永五左衛門(兄)・増永幸八(弟)・五左衛門の妻:むめは、周囲の反対を押し切ってまで、なぜ、メガネの生産に力を尽くしたのか。

初めてめがねを掛けた時のツネの顔を思い浮かべる。嬉しそうに笑っていた。その隣で小春が涙を滲ませツネを見つめていた。めがねなんて売れんで――そんなふうに言われたとしても、自分はめがねひとつで人生が変わった瞬間を、この両目で見届けたことがあるのだ。

藤岡陽子 著「おしょりん」P152

「おしょりん」はどんな本?

✓あらすじ

明治維新により世が変わってから37年。都会が目まぐるしく変わる中、福井県生野しょうのの地は、江戸時代からの風景が変わっていなかった。唯一の産業の羽二重はぶたえ(生地)も、大火によって焼失。そんな時に兄:増永五左衛門のもとに、東京・大阪で働いてきた弟:幸八が訪れる。

「この村でめがねを作る――」

この言葉をきっかけに、めがねフレーム生産が始まった。職人の育成・師の招聘・資金難に販路の獲得…。幾多の困難を乗り越えて、彼らはいかにしてめがね産業を興したのか。創業後6年間の最も苦難な時期を、迷い・悩み・苦しみながらも、前に進み続けた2人の兄弟と妻、そして必死で技術を習得した職人たちが抱き続けた熱き信念を描く。

✓読みやすさ ★★★★★

単行本324ページ、描かれる時間軸も6年と歴史小説としては短いうえに、視点人物も兄弟2人と妻:むめの3人に限られており、初心者のかたも読みやすい作品です。真っ白な雪原を踏んで歩く足音が聞こえてくる細微な描写や、周囲の景色にリンクして描かれる心情描写など、まるで読み手の自分自身が舞台に入り込んだかのように没頭できる作品です。

「増永五左衛門」ってどんな人?

故郷である福井県生野を豊かにするため、めがね産業と教育に生涯を尽くした人物
※作中のイメージを含みます弟:増永幸八・五左衛門の妻:むめは、残念ながら写真や生没年を見つけられませんでした。

明治4年、現:福井県生野町の豪農の家に生まれた増永五左衛門は、16歳にて家督を継ぎ、一家の大黒柱になります。25歳にて妻:むめと結婚、28歳にて町会議員を務めるなど、真面目な人物でしたが、30歳を目前にして起こった大火により、村で唯一の産業である羽二重産業が壊滅。増永五左衛門は、村の立て直しを図るべく、新たな産業を興すことを考えます。

そんなときに、16歳にして家を出て東京・大阪で様々な産業に触れた弟:幸八が、「この村でめがねを作る――」」と、兄:五左衛門に語りかけます。

ここから「おしょりん」の物語は始まります。

しかし、福井の片田舎では、当時は高級品であっためがねなど、誰もかけていない。周囲の反対の説得・職人候補の募集と育成・恒常的な資金難・都会への販路の獲得など、彼らには多くの困難が降りかかります。しかし、それでも増永兄弟はひとつずつ困難を乗り越えて、めがねフレーム生産の事業を軌道に乗せていきます。彼らはいかにして事業を成功に導き、そして福井の地を豊かにしていったのか。経営者としての五左衛門の信念を本作でお楽しみください。

ちなみに、本作「おしょりん」では創業後の6年間を描きますが、その後も事業は順調に拡大し、五左衛門の晩年には天皇への献上品を手掛けるほどに隆盛を迎えます。昭和12年(1938年)に67歳で五左衛門が生涯を閉じた後も、海外を含めた幾多の受賞歴を経て、現在の増永眼鏡(株)は海外にも支店を持つほどの企業になっています。
また、人材育成に熱心であった五左衛門により、職人たちが独立して会社を興したことで、福井県鯖江で生産されるめがねフレームは、95%という圧倒的なシェアを誇り、福井県の産業を今でも底堅く支えています。

つれづれ
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実は、長年愛用している眼鏡も鯖江ブランドのめがねでした!なんとも縁を感じる作品です

おすすめポイント・読書体験

ここが読書ポイント

① タイトル「おしょりん」の意味
② 事業を通じて、自分の居場所を見つけた3人

タイトル「おしょりん」の意味

「おしょりん」とは、豪雪地帯である福井の方言で、晴れの日の太陽により解けた雪の表面が、夜間から早朝にかけて再び固く凍結した状態のこと。早朝にできるため誰の足跡もなく、また路面も畑も固く凍結しているからこそ、目指す場所に真っすぐに進むことができるのです。

彼らが飛び込んだ「めがね枠の生産」は、言ってみれば「おしょりん」の状態と同じ。福井という知識も経験も持つ者がいない地で新しい事業を始めることは、誰の足跡もない「おしょりん」に飛び込むことと同じだったのです。

子供のころは、弟が行きたい場所を指し、兄が道を選びながら進む。大人になってからは、弟が福井県生野と外の世界を繋ぐ役割を担い、兄は一人の経営者として事業だけでなく福井の地を豊かにした。

まるで真っ白な「おしょりん」に2人で踏み出してくかのような増永兄弟の挑戦が、本作の見どころの一つです。

増永工場は、ふたつの大きな車輪によって引っ張られ育ってきた。五左衛門と幸八。ふたりのどちらかが欠けてもいまの成功はなかったに違いない

藤岡陽子 著「おしょりん」P323

「めがね事業」を通じて、自分の居場所を見つけた3人

「おしょりん」の主人公は、経営者として事業の責任を担った兄:五左衛門、めがね枠の販売・営業を担当した弟:幸八、そして兄弟2人を支え繋いだ五左衛門の妻:むめの3人です。

そして、この3人は共通して、自分の居場所や役割に不満や悩みを抱えています

兄:五左衛門は、経営者・町会議員を務めながらも生野の村を発展させてこれなかった自分の不甲斐なさを。
弟:幸八は、実家を気にする必要のない末弟で、都会で職を持ったにも関わらず、何故か故郷に惹かれる整理のつかない自分の気持ちに。
妻:むめは、口数の少ない五左衛門との夫婦生活と、嫁入り前に抱いた淡い恋慕への後悔を。

こうした悩みや不満を抱きながらも、3人は「めがねフレームの生産」に身を投じる中で、少しずつ自分の居場所や役割を見つけていきます。例えば、妻:むめは、新たな事業に挑む夫が見せる弱さや覚悟を通じて、自分のやるべきことを見つけていきます。

仕事やプライベートなどの何かしらが上手くいかないときに、立ち止まらずに前に進み続けることで、結果的に確固たる信念を持った3人。彼らの真っ直ぐな生き方に、どこか共感を覚えるとともに、読み手にエールが送られてくるような気持ちになる作品です。

「それで、ひとつに決めたと?」
「ええ。わたしもめがねに懸けています。旦那さまと一緒に家族と村を守る。それを自分の一生にしようと思います」

藤岡陽子 著「おしょりん」P120

あとがき

本作で描かれる「仕事を通じて深まっていく家族の絆」を描いた作品としては、朝井まかて著「朝星夜星」がおすすめ。半世紀ほど時代が上った江戸幕末から明治初期を舞台に、朝は朝星、夜は夜星まで働き、西洋料理のパイオニアと称された草野丈吉が主人公。よろしければ、こちらも記事ものぞいて言って下さい。

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