
こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、実在した人物・出来事をベースとした小説を紹介しています。
「平家ずんば、人にあらず」
誰もが一度は耳にしたことのある驕り高ぶる平家の言葉。この平家を討ち滅ぼしたのは、後の鎌倉幕府 初代将軍 源頼朝のイメージが強いですが、その前に平家を京の都から追い落とした人物をご存じでしょうか。
今回ご紹介する小説は、源頼朝・義経の前に都を席巻し「朝日将軍」の異名を冠した「源義仲(1154-1184)」を描く天野純希著「猛き朝日」。
「俺は、貴族の世でも武士の世でもない、新しい世を創りたい」
天野純希 著「猛き朝日」P148
「新しい世?」
「人が、人として生きられる。誰からも虐げられず、奪われることもない。そんな世を創るために、俺は平家を討つ」
「猛き朝日」はどんな本?
✓あらすじ
時代:平安時代末期(1167/仁安2年ごろ-1184/治承8年)
平家が権勢を誇っていた時代、源義仲は父を同じ一族の源氏に討たれ、信濃木曽の地にて養育されていた。緑豊かな木曽に比べ、荒れ果てた京の都・人であることを踏みにじる平家の世を目の当たりにし、世を変えんと「義仲」は立ち上がる。従兄弟にあたる源頼朝との対立、戦で失った仲間、腐りきった朝廷・公家。彼はどのような世を夢見て決起したのか。どんな武士よりも武士らしい熱き男の生涯とは。
✓読みやすさ:★★★★☆
単行本500ページとずっしりとした文量ですが、時間軸が常に過去から未来であること、視点となる人物も何度か変わりますが各章に特化しているため、読みやすい作品です。一方で、勢力が入り乱れていることや源氏・平氏はみんな苗字が同じだったりと、少しややこしいところも。(こればっかりは仕方ないですが…)
「源義仲」ってどんな人物?
誰もが人らしく生きられる世を目指し、朝廷にすらその武を行使することをためらわなかった人物
※作中の人物像を含みます。

河内源氏の一族、源義賢(源頼朝の父の弟)の次男として生まれた義仲は、幼いころに父を亡くしたため、信濃木曽の地を治める「中原兼遠」に匿われるように養育されます。成長するにつれて、信濃の豪族たちと交流を深め、徐々に信濃国(現:長野県)における地盤固めを成していきます。
この辺りから「猛き朝日」の物語は始まります。
26歳にて、平家打倒の兵を挙げた義仲は、倶利伽羅峠の戦いにて平家に大勝。勢いのまま、都に攻め上り平家を追い出すことに成功しますが、京の都は魑魅魍魎だらけ。しかし、義仲は死を迎えるその時まで、「誰もが人らしく生きる世を」を望んでいました。
明治後期の文豪 芥川龍之介が、「彼の一生は失敗の一生也。彼の歴史は蹉跌(失敗の意)の歴史也。彼の一代は薄幸の一代也。然れども彼の生涯は男らしき生」と評した源義仲の鮮烈なる生涯とは。
「猛き朝日」のおすすめポイント・読書体験
義仲が望んだ世と、それ以外の権力者が望んだ世
義仲が青年期に見た京の都は、平家が席巻し民が人として生きることができない世。木曽の豊かな地で育った義仲は、養父:兼遠や青年期に見た荒廃した京の都の影響もあり、平家を討つだけでなく「誰もが人として生きられる世」を目指します。
しかし、2つの勢力が争うかのように見えた源平合戦は思いのほか複雑。棟梁としての権勢欲しさにけん制し合う源氏の同族たち、戦いを命じながら政治への参加を拒む朝廷・貴族たち、都落ちしながらも意外としぶとい平家など…。
義仲が望んだ「誰もが人として生きられる世」と、義仲以外の権力者が望んだ「自分たちの権勢が維持されればよい世」とは、どうしても共生できるものではなかったのです。
権勢は得られない敗者でありながら最後に「人らしく」死ぬことができた義仲と、権勢を得る代わりに「人らしからぬ」生を送った歴史の勝者たち。鮮やかな2つの対比構造が本作の読みどころです。
叔父上の求める世と、俺の求める世は違う。俺は、源氏の世など望んでいない。源氏も平氏も、百姓も貴族もない。すべての者が、人として等しく生きられる。そんな世を、俺は望んでおります。
天野純希 著「猛き朝日」P385
あとがき
本作で登場する人物の中で、「巴」「葵」「覚明」「板額」など、オリジナルキャラかな?と思う人物たちがいます。(巴御前は知っている方も多いかもしれませんが)
しかし、彼・彼女たちは当時のいわゆる軍記物(源平盛衰記、平家物語など)にその名が残る人物です。必ずしも史実を記載した書物ではないですが、戦国期における”山本勘助”の様に、軍記物にだけ名前が確認されていた人物が、その後の史料で実在が確認された例もあるため、こうした人物も確かにこの時代を生きたのだと思いたくなります。
平家も義仲も歴史的には「敗者」として世を去りました。しかし、そこには何かしらの想いを持って生き切った人が確かに在ったのだと、歴史の深みを感じることができる作品です。
かの物語の中では、私が見知った方々も、顔も知らぬ平家や貴族、そして鎌倉の武士たちも皆、それぞれの生を生き、それぞれの死を死んでいきます。彼ら、彼女らがこの世に在った証として、この物語は、後々の世まで物語られ続ける。それでよいのだと、私は思いました。
天野純希 著「猛き朝日」P525