倭の国から”日本”へ |「迷宮の月」安部龍太郎著

歴史小説

こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。
このブログは「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物をベースとした小説をご紹介しています。

今回ご紹介する小説は、安部龍太郎 著「迷宮の月」
描かれる人物は、「粟田真人(640ー719)」
本作を一言にまとめると…

倭の国から”日本”へ 知恵と覚悟で道を切り開いた外交官

真奈(粟田真人の娘)よ、私についてのどんな悪評が届こうとも、これだけは信じてほしい。お前の父親は天皇のご安泰と日本の発展をひたすら願い、命を懸けて使命をまっとうしようとした。その心に寸毫の曇りもないのだ、と。

安部龍太郎 著「迷宮の月」P342

「迷宮の月」はどんな本?

✓あらすじ
歴史上、初めて「日本」の国名を対外的に利用した第8次遣唐使のトップとして、唐(現在の中国)に派遣された粟田真人を描きます。史上初めれ寄港地のない危険な南航路で海を渡ることをはじめ、ただでさえ困難な唐との国交回復、そして朝廷からの密命。約1,300年前の外交員”粟田真人”が、日本の国を唐に認めさせるため、知恵と覚悟で道を切り拓いていく物語です。

✓舞台
本作は702年に出発~704年帰国した第8次遣唐使を描きます。主な舞台は当時の首都 長安(現在の中国陝西省の省都西安市)。冒頭に五島列島(長崎県)のシーンが描写されますが、日本の舞台はほとんど出てきません。ただ、文庫本の冒頭に舞台となる略図が表記されているため、位置関係が分かりやすい作品です。

✓気軽に読める度:★★★☆☆
お仕事小説の側面も大きく、用語や背景の説明もなされるため、内容自体が難しい作品ではありません。一方、馴染みの少ない古代中国・日本を取り上げているため、中国人だけでなく日本人の名前ですら馴染みにくいところがあります。三国志などの中国歴史小説が好きな方は全く問題ないと思いますが、あまり慣れていない方にとっては多少、読みにくさを感じる点もあるかもしれません。

本作を読んだ読書体験はあとがきに↓

「粟田真人」はこんな人

粟田真人(640~719)は、2度も唐(中国)に渡り、唐の先進的な政治制度や文化の日本に取り入れた政治家です。

百済人(現在の韓国西部に存在した国)の家系に生まれた粟田真人は、若くして勉学が優秀であったためか、12歳の時に第2次遣唐使で留学僧として唐に渡り、約10年ほど長安で過ごし帰国します。現代風に言えば、10代~20代を国際都市で過ごした帰国子女といったところでしょうか。帰国後は、天皇に仕える政治家として活動し、一度は聞いたことのある”大宝律令たいほうりつりょう”の制定にも関わった人物です。

大宝律令の制定後、粟田真人に命じられた任務。それが本作で描かれる第8次遣唐使です。内容は「迷宮の月」で描かれますので割愛しますが、一度目の勉強に打ち込めばよかった留学と異なり、日本の外交員として困難な任務を背負った真人は、どのような信念とともに困難な任務を成し遂げたのか。ぜひ「迷宮の月」でお楽しみください。

「迷宮の月」では、粟田真人が日本への帰国のため唐を出帆するところまでを描きますが、日本に帰国後の真人は、その後15年に渡り存命。国政に関与し続け、真人の次に唐へ渡った第9次遣唐使が帰国したことを見届けるかのように79歳にて亡くなったようです。ちなみに、その後、子孫の血縁は天皇へ続き、遠縁ですが現在の天皇にも繋がっているとか。

粟田真人

「迷宮の月」おすすめポイント

異国の地で”孤独”と戦った外交官”粟田真人”の意地

粟田真人の任務は、約40年前に起こった戦争で関係が悪化した唐との国交回復。戦後、外国との関係が薄れ、国際社会から取り残されていた日本は、先進的な制度や文化を取り入れるべく、粟田真人に遣唐使を任じます。しかし、実は真人の任務は国交回復だけではありません。ネタバレになるので控えますが、読んでいて「無理だろ…」というような密命こそが真人の本当の任務だったのです。

これらに加え、南航路での航海すら命がけにも関わらず、賄賂を要求する唐の役人、唐国内の派閥争い…。そして何よりも達成が困難で真人を困らせる密命。新の目的を達成するために謀を企むものの、謀が漏れることで遣唐使全体(約400名)に影響を与えることを危惧し、真人は一人で仕事を抱えこんでいきます。

いずれの任務も日本の発展には欠かせない。遣唐使400名を連れていながらも、企みや胸に抱えた不安は誰にも話すことは許されない。孤独の懊悩を耐え抜き、真人はどのように任務を成し遂げたのか。また、異国の地で孤独な懊悩を支えたものとは何だったのか。真人の苦しみに共感しつつも、少しずつ紐解かれる真人の戦略・そして唐の国のミステリーに迫る本作をぜひ読んでみてください。

この秘策によって国交回復を成し遂げることができるなら、天皇のため、そして新生日本のために身命を賭したいとの欲求は日増しに高まり、正月参賀の時をもって決行するとの結論に至れり。一命を捨てて大義に殉ずるは、男子の本懐である。天皇に弥栄いやさかあれと祈るのみなり。

安部龍太郎 著「迷宮の月」P336

あとがき

本作終盤、復讐に捉われる人物へ真人はこんな言葉(↓)を残します。復讐を止めさせる言葉は色々ありますが、過去・現在・未来へと連綿と続いていく未来のために、今、何をすべきかが語られているような気がします。

個人の怒りや恨みを晴らすことより、時間と空間を超えて真実を伝えることの方が、尊い生き方ではないでしょうか

安部龍太郎 著「迷宮の月」安部龍太郎 著「迷宮の月」P505

関連作品で紹介している「万波を翔る」も外交員を主人公とする作品です。主人公である江戸幕末の外交員「田辺太一」は、外交員の訓示として「後の世に負債を残すようなことを決してしないこと」と語られます。時代は1,000年もかけ離れていますが、どこか通底するものがあります。

今を生きる我々が、やっていることが、もしくはやっていないことが、結果的に子供たちの未来に負担をかけるようなことになっていないか。本作の主要なテーマである真人の孤独な懊悩に共感しつつも、未来とは今を生きる我々の行動と地続きであることを改めて感じさせられる作品です。

関連作品

✓海を越え、世界と渡り合った男たち

①木内昇 著「万波を翔る」
鎖国が長かった江戸時代の幕末に、前例のない”外交員”を担った侍たちを描きます。幕末の失策とも呼ばれる不平等条約は本当に不平等だったのか。明治時代の新政府は信頼に足る政府なのか。国内で吹き荒れる攘夷と戦いながら外交に奔走した男たちを描きます。

②八木荘司 著「ロシアよ、わが名を記憶せよ」
ロシアに愛する人がいながらも日露戦争で散った明治日本初の軍神”廣瀬武夫”を描きます。冒頭、ヨーロッパで他国の軍人と渡り合う、明治初期の気概ある姿が描かれます。

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