こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。
「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物をベースとした小説をご紹介しています。
今回ご紹介する小説は、
堂場瞬一 著「空の声」
描かれる人物は、
「和田信賢(1912ー1952)」
本作を一言にまとめると…
アナウンサーとしての”伝えること”への誇りと覚悟
僕だって死にたくない。でも、もしかしたら最悪の事態になるんじゃないかという不安はある。それでも、このオリンピックの放送だけは何としてもやり遂げたいんだ。
堂場瞬一著「空の声」P167
「空の声」はどんな本?
✓あらすじ
まだテレビ中継がない時代に、ラジオ・音声のみでその場の雰囲気を伝えた名アナウンサー「和田信賢」を描きます。玉音放送から相撲中継・話の泉(今でいうクイズトーク番組?)など、幅広く放送をこなす人気アナウンサーの和田信賢は、なぜ悪化する病を押してまでヘルシンキオリンピック(フィンランド)に参加し、何を伝えたのか。伝える側の覚悟と誇りを活写する作品です。
✓舞台
時代:1952年 夏
第二次世界大戦での敗戦、独立国としての主権回復後、初めて日本が参加する夏季オリンピック「ヘルシンキ大会」が舞台。同時に和田信賢の回想という形で、和田信賢が担当した「玉音放送」などを通じて、当時の世情が映し出されます。戦後から立ち上がらんとする日本の姿を、スポーツを通じて描く作品でもあります。
✓気軽に読める度:★★★★★
主人公:和田信賢の視点で進むうえに、主要登場人物は少なく、分量も文庫版400ページ弱ととても読みやすい作品です。働き方改革が叫ばれる現代とはさすがに異なるところもありますが、通底する文化は現代と似通っており、取っつきやすい作品です。
「和田信賢」はこんな人
戦前~戦後にかけて、玉音放送からバラエティまで硬軟双方をこなした名アナウンサーです。
※注:作中で取り上げられる人物像も含みます。

1912年、東京に生まれた和田信賢は、1934年に日本放送協会(NHK、当時の放送局はNHKしかなかった)に第1期のアナウンサーとして入社。和田信賢が最初に人気を博したのは、昭和14年1月15日の大相撲中継。70連勝を目指していた双葉山定次の取組で一躍有名アナウンサーの階段を上っていきます。(内容は作中でも取り上げられますので割愛します)
その後、日本は第二次世界大戦・太平洋戦争へ雪崩れ込む中、その端緒となる真珠湾攻撃の一報、そして戦争終結となる玉音放送の両方を担当したのも「和田信賢」でした。まさに、歴史に残る放送を担当した人物です。
戦後は、講師などを務めるかたわら、日本初のクイズトークバラエティ「話の泉」の司会を務め、お茶の間の人気を博しました。
そんな人気アナウンサーとしての活躍していた和田信賢に訪れたヘルシンキオリンピック行きの切符。「空の声」の物語はここから始まります。
病の状態は決して芳しくない。けれど、彼はヘルシンキ行きを決めた。初めて乗る飛行機、慣れない異国での生活。そして日々悪化していく体調。それでも彼は、アナウンサーとして伝えることに覚悟と誇りを持ち続けた。
敗戦のどん底から立ち上がらんとする日本のため、アナウンサーとしての誇りのため、命を賭してでもヘルシンキへ渡った。”伝えること”を生業とする人物の生き様とは。
おすすめポイント・読書体験
✓アナウンサーとして、伝えることへの覚悟と誇り
1952年のヘルシンキオリンピックは、開催直前に日本の主権が回復、戦後初めて夏季五輪へ日本が参加する特別な年でした。また、当時は海外渡航にも自由に行けない時代。出発前から病に悩まされていたものの、彼はこのように覚悟を示します。
「二十年近く待ち望んでいたオリンピックなんですよ。この機会を逃したら、私のアナウンサー人生は中途半端なものになってしまう」
堂場瞬一著「空の声」P1638
「『話の泉』の司会で、充実した仕事をされているのかと思いましたが」
「オリンピックは特別なんです」
病を懸念しながらも羽田を飛び立ち、フィンランドまで乗り継ぎ11回60時間と考えるだけでも疲れそうな旅程を乗り越え、ヘルシンキに到着します。この移動に加え、ヘルシンキ到着後も慣れない外食、白夜に悩まされ、彼日に日に衰弱していきます。
衰弱していく病と闘いながら、過去を振り返り、”今”を見届けて、彼は日本へ、まるで空から降ってくるかのように声を届けようと奮闘します。
衰弱した和田信賢は日本へその声をどう届けたのか、そして日本に残してきた妻:実枝子への想いと、和田信賢が最期に後輩に託したものとは。アナウンサーという仕事への情熱と誇り、そして何よりもその覚悟が胸を打ちます。
あとがき
「文庫版あとがき」にも著者 堂場瞬一氏が書かれていますが、体調が悪いなら見送ればよいという時代でもなかったのだと思います。
開戦から終戦まで太平洋戦争を伝えきった和田信賢にとって、「ヘルシンキオリンピック」という国際舞台で日本の活躍を伝えること、すなわち日本という国が国際社会で敗戦から立ち直っていく様を伝えることは何よりも大切なことだったのではないでしょうか。
大きなショックから立ち上がるという意味では、コロナショックから立ち上がらんとする今の日本も同じ事。改めて、立ち直り前に進もうとする気持ちを奮い立たせてくれる、そんな作品です。