こんにちは、つれづれ(@periodnovels)です。
「日々のおともに手に汗握るもう一つの人生を」をテーマに、実在した人物をベースとした小説をご紹介しています。
今回ご紹介する小説は、
松井 今朝子 著「江戸の夢びらき」
描かれる人物は、
「初代 市川團十郎(1660ー1704)」
本作を一言にまとめると…
非情な現実に負けない夢を…芸に命を燃やし尽くした荒事の開祖
「あのお坊様は命がけの修行……いえ、あれは命を捨てる修行でございました……」
松井今朝子 著「江戸の夢びらき」P106
今想い出しても恐ろしい光景が女の声を震わせて、負けん気が男の声を大きくした。
「俺も芸に命を捨ててやるんだ」
「江戸の夢びらき」はどんな本?
✓あらすじ
現代も続く歌舞伎役者の名跡「市川團十郎」の初代であり、荒事の開祖と呼ばれる”初代 市川團十郎”の生涯を、妻:恵以(榮光尼)の視点から描きます。江戸の市民たちから信仰と言っていいほどの人気を博しながら、舞台上で殺された初代 團十郎。初代の重すぎる声望・重圧をはねのけ、更なる人気を博した二代目 團十郎。彼らが、舞台に咲かせようとした夢とは。
✓舞台
時代:江戸時代初期~中期の元禄期(1667年~1730年)
かすかに荒々しい戦国の雰囲気を残しつつ、少しづつ江戸の街が変わりゆく様が描かれます。また、この時代は忠臣蔵で有名な赤穂事件・元禄大地震・元禄の大火・富士山の噴火(宝永噴火)など、江戸時代を通じて有名な事件・災害があった時代。これらの出来事が團十郎たちの考えにどう影響したのかも、大きな見どころの一つです。
✓気軽に読める度:★★★★☆
文庫版400ページ弱と分量は読みやすく、また基本的に妻:恵以の視点から物語が進みます。一方、歌舞伎の解説シーンが多く、かつ登場人物が比較的多いため、じっくりと腰を据えて読みたい作品です。また、現代でも演じられる演目もあり、歌舞伎ファンの方にはぜひ一読いただきたい作品です。
「初代 市川團十郎」はこんな人
現代まで続く歌舞伎の名跡”市川團十郎”の初代であり、苦しい現実の中で舞台に夢を咲かそうとした人物です。
※注:作中で取り上げられる人物像も含みます。

1660年に、浪人であり侠客でもあった父のもとに生まれた市川團十郎は、12歳にして芝居の門をたたき、14歳で初舞台を踏みます。團十郎は、その豪放磊落な演技により、一躍、江戸の評判を博し、役者としての道を歩み始めていきます。
役者としての道を歩み始めた当時は、まだ戦国乱世の気風がかすかに残っていた時代。侠客・無頼の徒と呼ばれるような人たちと触れ合い育った團十郎は、「荒事」と呼ばれる荒々しく豪快な歌舞伎の型を生み出します。
しかし、彼の心の奥底に住み着いていたのは、幼少の頃に見た僧侶が入定する物々しい風景。この世を救わんとその身を投げ出した僧侶の姿でした。
太平の世とは言えども、人の命が軽く幕府の理不尽な言いがかりで民衆が簡単に死ぬ時代。このような苦しい現の中で、初代 團十郎は舞台に夢を咲かそうとした。そして、彼は道半ばで命を落とした後も、妻:恵以は初代の遺志を二代目に繋ぎ、二代目 團十郎は見事に「荒事」を次の時代に繋いで見せた。
江戸元禄期、現実に負けない夢を見せんと、”芸”に命を燃や尽くした夫婦とその息子とは
おすすめポイント・読書体験
✓初代 團十郎が舞台に咲かせ、妻・息子が繋いだ夢
前段でも記載しましたが、團十郎が育った元禄年間は戦国乱世の荒々しさが残り、人が簡単に死ぬ時代。そんな非情な時代だからこそ、團十郎は現実に負けない夢を咲かせることに奮闘します。
それは、荒々しい昔を思い起こしたい侠客に向けた荒事であり、民衆をあっと驚かせる見世物であり、親の心へ訴えかける家族愛でもあり…。こうして様々な舞台・演目で江戸の民衆に苦しい現実を忘れさせる一時の夢を見させていきます。
はっきりと声に出しては訴えられないそうした思いも過去の物語に仮託すれば、通じる人には通じるのではないか。それもまた現では果たせない、芝居が見せられる夢なのではなかろうか。
松井今朝子 著「江戸の夢びらき」P290
偉大な初代 團十郎の死後、17歳の二代目 團十郎はすぐに売れたわけではありませんでした。突如、大黒柱を喪った妻:恵以と息子:二代目 團十郎は、悲しみの中でいかにして「荒事」を後世に繋いだのか。本作きってのおすすめポイントです。
✓続いてゆく文化と変わりゆく政
「江戸の夢びらき」の作中では、当時の政治権力の様子も描かれます。しかし、こうした絶対的な権力は時代が過ぎれば忘れ去られていくもの。5代将軍 徳川綱吉によって発せられた生類憐れみの令などがよい例です。
一方、歌舞伎という文化そのものは、流行廃りはありながらも、結果的に現代まで続いています。一時的に民衆を支配する政治・権力と、民衆に支持されながら受け継がれてゆく文化。
政治と文化が互いに影響しあい、変化していく時代の流れも見どころの一つです。
あとがき
実は当時の”夢”とは現代で言う”悪夢”の意味に近いようです(夢なら覚めてくれという表現など)。しかし、作品名の「夢びらき」は、現実という悪夢を切り裂いて明るい夢をひらいていく。本作を読むと、そんな希望を持った明るい意味なのではないかと思います。
初代 團十郎が生きた時代ほどではありませんが、現代も災害や政治による戦争で命を落とす人もいます。そんな時代であったとしても、團十郎のような強い意志を持つことで、現実に負けず前進していける。そんな明るい”夢”を抱くことのできる作品です。