日本をひとつに | 「ゆうびんの父」門井慶喜著

歴史小説
つれづれ
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つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、実在した人物や出来事を描く小説を紹介しています。

手紙が確実に届かない世界。
今では考えられませんが、現代から約150年ほど前の明治初頭までは、むしろそちらの方が常識でした。

今回ご紹介する小説は、宛先に、確実に、数日で、手紙が届く ”郵便”を創始した「前島密(上野房五郎/1835-1919)」を描く、「ゆうびんの父」門井慶喜 著

その人生で経験した「無数の旅」が、いかにして後ろ盾のない少年を「郵便制度の父」へと押し上げたのか。母子の成長の軌跡を描く物語です。

前島密、ゆびんの父の舞台紹介

「ゆうびんの父」はどんな本?

✓ あらすじ

郵便制度の祖と呼ばれ、現在では一円切手の肖像にもなっている前島密。だが彼は士農工商の身分制度の影響が色濃く残る時代にあって、代々の幕臣でも薩長土肥の藩士出身でもなく農家の生まれだった。生後すぐに父を亡くし、後ろ盾が何もない。勉強を誰よりしても、旅をしていくら見聞を広めても、なかなか世に出ることができなかった。そんな苦悩を乗り越え、前島は道をどう切り開いたのか。そして、誰もが想いを届けられる仕組みをいかにしてつくったのか。

挫折の数だけ人は強くなれる――
一枚の紙片が世界につながる、「ゆうびん」を生んだ男の物語。

門井慶喜 著「ゆうびんの父」 帯文言より

「前島密」はどんな人?

江戸時代後期にあたる1835年(天保6年)に、越後国(現:新潟県上越市)の農家の次男として生まれます。生後7カ月で父を亡くし、跡を継いだ浪費癖のある兄のせいで、母と子の二人で貧しい暮らしを余儀なくされていました。

そんな母から頼まれた、50キロ先の町に住む親族に手紙を届ける旅。
ここから、「ゆうびんの父」の物語は始まります。

本作では、前島密の前半生にあたる44歳までを描くため詳細は割愛しますが、本作のその後にあたる後半生では郵便事業のほかに、現:早稲田大学の校長や、関西鉄道(現:JR東海・西日本の前身の一部)の社長を務めるなど、教育・交通などの分野で日本の成長を推し進めた人物です。

おすすめポイント・読書体験

地位をもたらした学問と生きがいを発掘した経験

房五郎が生まれた時代は江戸時代後期。農家に生まれた房五郎(前島密)には、後ろ盾が何もありませんでした。身分も、金も、支援者もなく、唯一の楽しみは、母が話してくれる古今東西の昔話による教育だけ。

しかし、この教育こそが房五郎の人生を切り拓きます。少年期からは自らの足で日本中を旅しながら見聞を広め、学びへの貪欲な欲求を唯一の武器として、通算で何十人にも及およぶ”師”の元で学んでいきます。師匠だけでなく学問自体すらも転々と変えますが、不思議と周囲から愛された房五郎は、幕末になる頃には一定の地位を得ていました。

しかし、30代半ばにして、江戸幕府の滅亡と明治の世が訪れます。

ここに至り、房五郎(前島密)はようやく、自分の生きる意味、すなわち生きがいにたどり着きます。前島密を明治政府の地位ある役職へ押し上げた要因は学問で身につけた知識でしたが、生きがいを育んだものは、実は無数の旅を通じて得た”経験”だったのです。

房五郎は半生をかけて積み上げた経験から、どのようにして生きがいを見つけ出したのか。知識だけでは得られない、生きがいの見つけ方が一つ目の読書ポイントです。

世に出る方法は、ただ自己教育しかないのである。そうして教育というのは元来、近道が望めないというより、望んだ瞬間それでなくなるような何かだろう。たとえ遠回りとわかっていても、房五郎は、やろうと決めたことをやるしかない。あたかも鬱蒼たる森の木を一本ずつ抜くようにして地を拓き、畑を耕し、種を埋めることでしか収穫は得られないのである。

「ゆうびんの父」門井慶喜著

前島密はいかにして郵便制度を築いたのか

もう一つの読書ポイントは、ある意味で本題である「郵便制度はいかにして作られたのか」

実は、郵便制度自体の基本設計は、日本で前島密が郵便制度を取り入れる約30年ほど前からイギリスで開始していました。そのため、まずは諸外国の取り組みを取り入れるところから密の取り組みは始まります。

しかしながら、まねるだけで上手くいかないのも事実(そもそもまねること自体も難しいものですが…)。限られた予算・短い時間で、日本の風土に合わせたネットワークの全国展開が求められました。普通に無茶ぶりに見えますが、結果的に前島密はたった2-3年で郵便制度を全国に行きわたらせることに成功します

江戸時代の不完全な飛脚は、いかにして前島密による「郵便」へと進化したのか。1から事業を作ることの面白さと普段当たり前に利用する「郵便」に込められた想いが、本作2つ目の読書ポイントです。

いまでも郵便という人工的な秩序の発展にかける情熱の裏には、「あれば便利だ」よりも、むしろ、
――それがなければ、日本は滅びる。
という首を絞められるような圧迫感がある。

「ゆうびんの父」門井慶喜著

あとがき

本作は前島密の前半生にフォーカスをあてた作品ながら、同時に母と子を描いた作品でもあります。特に密の成長に伴って描かれる母:ていに関わる描写は秀逸で、母が抱く独特の感情がその行間に豊かに描き出されます。
この意味では、幕末・郵便制度といった大きな点に興味が得られずとも、母や息子にあたる方にとっても、共感しなが読める作品となっています。

最後に、本作に関連する作品を2つご紹介します。

1つ目は、江戸から明治へと変わる全く同じ時代に、「食」で日本の発展に貢献した西洋料理人「草野丈吉(1839-1886)」を描く朝井まかて著「朝星夜星」。主人公の草野丈吉は、幕末の長崎で西洋料理屋を構えた人物。前島密が長崎に滞在した折に丈吉の料理屋に訪れたかも?…とか思えたり…。時代が同じ、かつ場所である舞台も似ており、本作との重なりが楽しめる作品です。

2つ目は、日本初の鉄道建設テーマに、職人:平野弥十郎(1823ー1889)の視点から描く 梶よう子 著「我、鉄路を拓かん」。「ゆうびんの父」の作中で、前島密が大隈重信へ提出した「鉄道憶測」を根拠として着工された品川―横浜間の鉄道建設を描きます。前島密が2週間で仕上げた鉄道憶測が、その後のどのようにして形となったのか、こちらも読み合わせが抜群の一作です。

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