
つれづれ(@periodnovels)です。このブログでは、主に実在した人物・出来事をベースとした小説をご紹介しています。
多くの幕末の有名人を輩出し、明治維新を成し遂げた薩摩藩。しかし、幕末の少し前まで、薩摩藩は武士に給料が払えないほど莫大な借金があり、財政破綻も時間の問題でした。
今回、ご紹介する作品は、幕末が始まる少し前、その手腕で薩摩藩の財政を立て直した「調所広郷(1776-1849)」と、彼の密貿易に協力した「富山藩の薬売り」たちの実話を描く物語、植松三十里 著「富山売薬薩摩組」。
薩摩藩を、富山藩を、そして何よりも人々の営みを守るため、命を懸けてでも仕事に取り組んだ男たちの生き様とは。
「彼らとて、少しでも安く、よい昆布が欲しかろう。清国人、薩摩人、そして、そなたらが薬をもたらす他国の者どもも、安く良薬を得られる。どれほど多くが助かるか。どうか、よくよく考えてもらいたい」
植松三十里著「富山売薬薩摩組」P41
「富山売薬薩摩組」はどんな本?
✓あらすじ
富山で薬売りを営む密田喜兵衛は、富山藩と薩摩藩が結託した密貿易の話を持ち掛けられる。仲間内の反対、幕府の監視、不慣れな蝦夷での取引、時に人の命を軽々しく奪う海。喜兵衛は、いくつもの障害を乗り越えてまで、なぜ密貿易に”協力”したのか。そして、調所広郷はなぜ密貿易に拘ったのか。響き合い、共鳴していく登場人物たちの命を懸けた覚悟を描く。
✓読みやすさ ★★★★★
単行本217ページと手軽に読める長さかつ、視点人物は主人公のみ、登場人物も絞られており、割と手軽で読みやすい作品です。タイトルから読みにくそうという印象を持つ方もいそうですが、歴史小説の知識がなくとも読みやすく、お仕事小説の一種として読みやすい作品です。
「調所広郷」ってどんな人?
※本作は、薬売り商人「密田喜兵衛(1785-1866)」が主人公のため、調所広郷の取組は喜兵衛が関与した密貿易の一部を描いています。あくまで主人公は密田喜兵衛ですが、この人物の情報が少ないため、調所広郷をご紹介します。
1776年に武士としては最下級の家に生まれた広郷は、茶の湯の手配・給仕を務める調所家へ養子入りします。その後、前藩主:島津重豪付けの勤務を命じられたことから、出生街道をひた走っていきます。一時は、藩主側近から離れ町奉行を務めるも、腐ることなく町人たちとの交流により実務をよく学んだとか。
その後、前藩主:島津重豪からの命により、過去に藩主を務めた重豪・斉宣たちの隠居に関わる費用の調達掛かりで成果を出したことから、薩摩藩全体の財政改革の責任者に抜擢されます。
ここから「富山売薬薩摩組」の物語は始まります。
この後、調所広郷の死までは作中で描かれるため詳細は割愛しますが、20年の時をかけて当時500万両と言われた借財の状況から、最大で200万両の蓄財まで財政を改善させたとか。こうして蓄えられた金銭が後の明治維新における薩摩藩の勇躍に繋がったのです。
ちなみに、本作の主人公である「富山の薬売り」は、明治維新後に富山の売薬商人たちが生き残りのために共同して「広貫堂(株式会社)」を設立。西洋医薬品の増加や第二次世界大戦などを生き残り、現在は700名もの従業員を誇る会社となっています。
おすすめポイント・読書体験
命をかけた男たちと彼らを見届けた密田喜兵衛
本作に登場する人物はみな、仕事に対する誇りを抱いています。それは、藩のためや人のために役立ちたいという想いであり、次の時代への希望でもありました。
そして、彼らのこうした想いは、時に命を懸けてでも実現するという信念に変わります。
例えば、「調所広郷」。彼は薩摩藩の財政再建、そして商人が主役になる世を夢見て、自身の命や名誉すらも顧みずに、自身の道を真っ直ぐに信じて駆け抜けます。財政改革に痛みや反発を伴うことを覚悟していた調所は、密田喜兵衛に
「毒薬を用意してもらいたい。一服で確実に死ねる量を頼む」
植松三十里著「富山売薬薩摩組」P86
と頼みます。万が一の事態を先読みし、言彼は言葉通り「命を懸けて」いたのです。その他にも富山藩で勘定奉行を務める:富田兵部や、喜兵衛の仕事仲間:寅松など、本作に登場する人物たちは、みながそれぞれ見た次の時代への夢、そして守りたいものを、次の世代へ託しては死んでいきます。
主人公:密田喜兵衛も彼らのうちの一人ですが、彼の役割は命を懸けることではなく、あえて言えば「彼らの死にゆく姿を見届けること」。幕末動乱期が始まる直前、商人:密田喜兵衛は彼らの死にゆく姿を見届けた末に、何を見たのか。
死を選ぶほどの熱き信念と、生き残り見届けることの哀しみが胸に迫る作品です。
大木の幹を拳でたたいて、喜兵衛は泣いた。生き残る哀しみは、死ぬ苦しみを、はるかにしのぐことを、初めて知った。
植松三十里著「富山売薬薩摩組」P195
あとがき
主人公:密田喜兵衛は実在の人物ですが、あまり記録が残っておらず、小説に描かれている以上の情報は見つけられませんでした。しかし、彼ら「富山の薬売り」たちは薩摩藩の財政に貢献し、維新回天を成し遂げた原動力の一部であったことは紛れもない事実です。華々しい偉人の人生だけでなく、彼らのような市井に生きた人々も、歴史に関わっていたことを感じる作品でもあります。
関連作品としてご紹介する作品は、同じく幕末に財政破綻の寸前から豊かな藩へ変貌した福井県の小藩:大野藩を描く、畠中恵著「わが殿」。ご紹介した「富山売薬薩摩組」より十数年ほど後の時代で、財政を大きく改善させ、樺太探検まで手掛けた内山七郎衛門(1807-1881)が主人公。絶望も希望も運んでくる「明日」が印象的な作品です。
こちらもネタバレ厳禁で紹介していますので、よかったらのぞいていってください。